テキスト1966
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OIついたり、往きつもどりつすることはよくない。思い切りよくさつと手を引く、この節度が最も必要なことである。花材をしおらせたり、いためたりするのは、この順序が混雑した場合に起りやすい。いけばなはいつの場合も自然の草木を材料とする芸術である。自然の草木といつても範囲が広いが、大別して、現在、美しい花をもち、或いは生々しい葉をもつ、いわゆる「なま」の花材と、今一つはすでに、枯れ残った枯花枯葉の類、いわゆる「過去」の材料の二つである。そのうち、普通に「はな」といわれるのは現在、美しい花葉をもつ草木のことである°私達のいけばな材料は、大部分がこのなまの花であるから、それについて考えてみる。私達がいけばなを考えるとき、その花形や色調を考えるのと同時に、水揚のことを考える。花がよく水揚げているということは、花葉の体中に水分がたっぷりとあって、みずみずしい感覚のあることである。水分が少なくなると、うるおいがなくなり、やがて萎れることになる。いけばなの理想は形もよく、色も美しく、そして水揚りのよいその姿であろう°従つて、しおれない様に水揚りのよい花を活けね4 うるおいばならぬ訳だが、それに必要なことは、まずなにより活ける時間の早いこと、また、花を活ける時間のうちに、材料をなぶり過ぎない様にすることが、一ばん大切なことである。これについては前章に、思い切りよくさつと手を引く必要があると言ったが、また活けておる順序の中に、出来るだけ花を痛めない様に、その材料の「なぶり方」の注意が大切である。仔猫でも仔犬でも可愛いがる気持でも、あまりなぶり過ぎるとかみつく。花はかみつかないが、度がすぎると参つてしまうことは同じ、といえる。なぷり過ぎた材料は、花も葉も、やがてぐんなりとして鮮度が落ち色が抜け去つて行く。水分があればこそ色彩があるので、水分の落ちると同時に、色が失せて行くのは当然である。従つて手早く活けること、思い切りよく早く仕上げること、うるおいの落ちないうちに活け上げることが、いけばなの大切な考え方である。粗雑(そざつ)とは、精密でないこと、そまつな技巧、ざつな技巧ということである。いけばなはどこまでも技巧のよい作品であることが大切である。ざつな仕事はよくない。細かいところまで注意の行きとどいた作品であること。花の向き、葉のうらおもて、枝の並びぐあい、奥行き、高低の重な5 粗雑萎縮り、その他に精密な技巧が必要である。いけばなの技術は永い練習によって出来上るものであって、研究のつみ重ねによって、美しい技巧を作り出すことが出来る。丁寧な仕事の出来ておらないいけばなは、よい作品とはいえない。カ強い大作でも、その中に精密な技巧がいるものである。活ける時間のうちにも、一っ―つ注意を行きとどかせて、作品の左右、前後、高低の各部にわたって、神経の行きとどいたそんな花を活けたいものである。さて、作品に対して細かい注意をはらい、神経が行きとどいておるということは必要なことでありながら、同時に「作品の萎縮」が起つて来る。注意力をつきつめて、注意したいと思っ。花材の配合、幾たびも幾たびも修正しているうちに、段々と作品全体が萎縮して、に、影の如くつきまとうことがらのびやかさが失われて行く場合がよくある。作品には常に豊かさと、のびやかさが必要である。行きとどくということには、同時に「萎縮」という悪条件がつきまとう°萎縮してはいけない。勢よくしかも精密であることが必要なのである。品(ひん)のよい花、品格の高いいけばな、けだかい感じのする作品、或いは格調の高い作品、そんな花を活けたいものである。品格の立派な作品というものは作ろうとして作れるもではのなく、作6 品格者が常にもつているけだかい心が、たくまずして作品の中にとけ込んで、やがて作られて行くいけばなの中に、俊れた香気を放つ様になり、見る人の心を感動せしめる無形の美しさである。これは、作品の形の中にもあり、色調の中にもあり、すべてを包含した「あらわし方」の中にもあるこれは作るものではなく、作られて行くものといえる。作者の高い思想修捉が「いけばな」という一つの芸術を通じて、たまたまあらわれる貴い姿である。大変むづかしいことではあるが、私達の理想をここにおきたいものである。同時に、この反対の「品の悪い花」を作らない様に、常々花形、色調、花器を選択するときであるから、これを正しく理解する必要がある。注意がうぬほれ、慢心に通じる。慢心は芸術の行きどまり、と昔からいわれるが、自分の花は立派なものだと、ひとりよがりに反省しない人には、もう芸術の進歩はない。自信をもつということは必要であるが、自慢の心は嫌らしいものである。どれほどよい作品を作る人であっても、常に反省し、周囲を見まわして、自分の位置をたしかめることが大切である。そして、いつまでも研究を重ねることが、その人をいよいよ高くする所以でもある。7 ひとりよがり数は、すでに五百数十名に達した。見せ、家庭のものが総出で歓待す妻であった。これをテNHKのテ追つて」の中で放送された。高山前京都市長の提唱によって生れた「ホームビジット」制度。外人観光客を家庭にあたたかく迎生ましよう、という趣旨によって、桑原冨春軒へ来訪した外人のいつもいけばなを活け、古書をる。11月1日のお客さまは、オーストラリアのブリュースター氏夫レビ放送に取材することになり、いろいろの場面を撮影して、11月1日朝、7時20分よりの「話題を外国の旅行者が習慣の違った日本の家庭に招待されることは、深い思い出となることであろう。放送されたいけばなのお客さま.. 13

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