テキスト1966
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きがきしてみよう。形などに殆花を活けることは、誰れにでもを活けつつ、その環境の中で、い出来る簡単なことである。絵をかけばなをいけつつ、美術を理解しくこと、字をかくこと、どもの生活の中にある、平凡な行ることは出来るし、饗う人達も、ないの一っ一っといえよう。しかし「いけばな」という名の、ない。はつきりとした作品となると、中さて々簡単なことでなくなり、つくるよい作品、趣味の悪い作品がある。上に、或は練修のうちにもいろいろ考えねばならぬ点が起つてくる。な、と感じるいけばながあるもの絵や書をかく場合と同じである。である。こんないけばなは、どうここでは、いけばなを習う人達して作られるのだろうかと考えてが、是非考えねばならぬ事柄をぬみると、花材、花器、いけばなのこれはいけばなを始める以前の一般教養ともいえる。趣味とはその人々の好み、むづかしくいえば美術的な基礎教養ということである。俗にあの人の趣味はよいとか悪いとか、その範囲のことで、それほど固くむづかしく考えなくともよいが、しかし、考えてみると、人々によって違う、いわゆる「趣味」のよしあしは、いけばなを作いけばなへのー趣味23桑原専渓これも私或は考え方を高めようと、指導する上に、土台になる大切なことなのである。実際問題として、自由な習いごとである花道で、その人達のすでに持つている思想まで立ち入ることは、中々むづかしい。ただ、花それを高めることも出来るに違い、いけばなの中には趣味の誰れが見ても美しい、よい趣味だんど原因がある。花材を選択するとき、品のいい、すつきりとした素材を選む、色彩の配合を考える、花器も趣味のよいもの、花形もいたずらに奇矯に走らない。しかも、その中に新鮮な味わいを作る。これらの要点を快い感じにそなえた配合を「趣味がよい」と一般的にわかる言葉でいいあらわすことになる。私達は、趣味のよい花を活けたい。初級の人達にはそのように指導し、永く習う人達には、いよいよ素晴らしい高い趣味の花を活けるように引つ張つて行きたい。これが教える側からの願いである。それには習う人達もその様に理解することに努めると共に、すでに持つておられる「趣味の美しさ」をいけばなの方へも応用されることを望む次第である。数字の計算のことではない。作品をつくる以前に、どんないけばなを作るのかというその心構えの中に、材料は何、あしらいの花は何、花器はどれを使う、どこに飾る、どんな花形につくる、そして、の出来る人ほど、よいいけばなが出来上ったいけばながよい作品となるだろうかと考える、そのことである。勿論、材料の分量もある。技巧の加え方もある。これはいけばな以前の心の用意である。この計算がうまく出来ないと、よいいけばなが作れない。花屋の店に入って何を買うのかという時にも、この考え方が必要である。すでに花器をきめてから、花材をあつめるのもよい。花材をきめてから花器を選ぶのもよいが、その場合に出来上りの作品を、あらかじめ心に描いて選択することが必要である。無方針でただ美しい花、好きな花器を選ぶことは、結果としてよい作品が出来ないものである。計算色彩はいけばなに大切なことである。その場合の予定が拙かったら、優れた色調は生まれない°直接なことだが、分量を多く使って引き立つ場合もあるし、少ない方がその花の個性を出すことの出来る場合もある。水仙、つばき、かきつばたの類は数少なく活けてこそ、その味わいが感じられる。ダリア、バラ、カーネーションの類は、どれほど分量が多くとも、それだけの豊かな美しさを出すことの出来る材料である。この様な計算をうまくすること作れることとなる。序(じよ)破(は)急(きゅう)という言葉は、日本の伝統芸術の中に必ずといつてよいほど、使われている言葉である。簡単にいえば、はじめ、なか、おわりという意味で、緩急のうつり変りを定める基礎の原則である。ここでは、難しい意味でなく、花を活けはじめるときの初めの心、中程の状態出来上りの考え方、という意味の、小枝のとりはらい、お話とする。花器と材料を用意して、さて花器の前に向う。材料のどれから先に入れるか、どの枝を一ばんに入れるのが調子よく進行することが序破急出来るか、どんなに枝を切りすかして花器におさめるか、どうして留めるか、後より括す副材の入れやすい空間を作っておくことも必要である。重量的に安定するか、何本ぐらいが適当であるか、など考えつつ静かに進行を始めることとなる。この場合は、落ちついて静かに考えつつ、そのいけばなの主要な部分を入れて行く。実に静かである°勿論、小細工はやらないで、大まかなアウトラインを作つて行く。これが花を活けるはじめの段階で、いわゆる「序」にあたり静思の時間である。やがて主要枝が安定し、大体の形が花器におさまつて来ると、いよいよしつかりとした技巧を加える。細部の枝のすかし、重なりに注意し、花の配列、色彩の配置、全体のバランスなど、たしかな技術の要る一ばん大切なときである。カのこもるのもこのときである。そして最後の仕上にうつる。このときが「破」にあたる訳である。次にいよいよ最終の手ばなれのときである。無駄な葉の切りとり、そして、出来上った作品をよく見つめて、よし、と定めて、さつと手を引く。これが「急」の段階で、この場合に基礎の枝や全体の形を、やりなおそうとしてみたり、いつまでもぐづ理解12

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