テキスト1966
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岡部伊都子の随筆の中にこんな文があった。「敗戦の春、燃料の不足をすこしでもおぎなおうとして、や枯松葉をかきあつめに、山道をたどつていて、る細い谷川に目をみはった。その附近に、さくらの木はみあたらないのに、おびただしいさくらの花びらが急な流れにのつてひしめき流れていた。上流にみごとなさくらの木々が在つて、鑑賞する人もないのに豊かに花ひらき、いま、惜しみなく散りつづけているのにちがいなかった」これは、晩春のおそざくらに寄せる美しい抒情詩である。ちょうどこのごろ、林間のこみちを歩いて行くと、谷川の川はばをせ専渓中に、岩はだに群つて出生する岩か月の15日頃より20日まで、この頃が一ばん美しい季節である。松ぼつくり吉田山を越えて真如堂へ行く道は、ふと、その横を流れ走葉の一ばん美しく見ることの出来ると、ある園芸家のお話であるが、全くこのあたりから詩仙堂、曼舟院あたりの古い建築を色どる紅葉は、目をみはる様な美しさを見せる。くとも、緑の樹々、黄葉の樹々の闇にあればこそ、美しく感じるのであばめる様に落ち重なった枯葉の中に、紅葉が次から次と果しなく、流れて行くのを見ることがある。春の桜と同じように、季節を終った紅葉は時のうつり変りを示すように、足早に流れ去つて行く。山の紅葉はすでに終りである。私達の周囲を見まわして見ると、残菊の葉の深い緑に少し紅色をそえて、単弁の小菊や早咲の寒菊の葉も紅葉を見せて、ことに風雅に美しい。比良の裾野の岩かがみも、冬もみぢする頃である。落莫とした疎林のがみは、濃い緑の岩梨の小葉に入り交つて、雑木の黄色の落葉に埋つていることであろう。京都の紅葉は11東山真如堂のお十夜が11月15日。まだ昔ながらの静けさがあり、案外、参拝者の少ないこの日は、境内の紅風雅な趣を残している。京都で紅葉の美しいのは東山赤山神社の楓だ紅葉はそれがどれほど紅色に美しつて、紅色そのものが美しいと感じるのではない。菊の花も、かきつばたの花も、緑の葉があってこそその美しさを感じるのであって、花色そのものだけでは濃厚にすぎて、むしろ嫌悪を覚えるに違いない。紅葉は緑から褐色へ、黄葉を交えてそして紅葉にうつり変る、その一樹一枝が私達に目をみはらせるのである。いけばな材料としてよく使われる「とりとまらず」という紅葉は、殆んど紅色ひといろに照り葉となっている場合が多い。こんな紅葉はむしろ俗趣とでもいうか、単調な紅葉の中に風雅がない。緑からうつり変る姿をもつ一枝が、いけばなには美しい晩秋の風雅を感じさせるのである。谷川に流れる桜の花びらを見て、渓谷の桜を想像する様に、流水の紅葉を見て晩秋を感じる様に、日本人の自然によせる感懐は、いつも詩的な心につながつて幽玄を楽しむところにその特徴があると思う。日頃多忙なので、テレビを見る時間も少ないのだが、カラーの番組が段々と多くなつて、それにつれて見る機会も多くなった。私はテレビは白黒でもカラーでも、そんなに深い関心はなかったのカラーテレビだがさて、色彩テレビを見はじめてみると、美しいとか、実感があるとかの表面のこと以外に、いろいろな場面にあらわれる色彩について、批判的な目で見る様になった、そして、なにしろ手近かに数多く見ることであるから、いけばなをやる人達には、有益だと思う様になった。展覧会などで絵を見ることは、大変よいことではあるが、中々機会が多くない。毎日の様に放送されるテレビを見つつ、色彩についての注意を向けて行くことは、日距、美術的なものに無関心の人でも、徐々に理解のみちをすすめるのではないかと思う。なにしろ、毎日見るものであるだけに、それがよい性質のものである場合は、つみ重なつて利益を得るだろうし、反対につまらないものの場合は、時間の浪費となって益するところがない。テレビに放送されている日本の色彩映画や漫画は、二、三のほかは、まだ充分とはいえない様である。ヵラーでなくともよいと思われるものもあるし、色の使い方、配懺などについて低俗なものが多い。なにしろ、舞台装置、照明、衣裳など、それに自然の景色の色調など、まだまだ完全とはいえない0概して赤系統の色は調子が悪く、白はいやに白っぽく、その他の色彩も原色を用いてある場合が多い。これに比較して、外国の放送映画は、たとえば「デズニーランド」にしても「アンデイーウイリアムズ」のミュージカルにしても、西部劇のカラー映画にしても、全体のストーリーは別としても、各場面の構図や色の配置などについて、細心の注意が払われていることは、実に感心する。ことに色彩映画は性質として、色の動きと重なりが瞬問に行われ、その場合に多くの色が移動して、画面全体の美術的効果を挙げて行くものだから、それを構成する人達の苦心が随所に感じられるものである。日本のカラー映画の原色の多いのに反し、アメリカ映画の中問色を巧みに配合しているのをみると、なにがなし羨望を感じる。しかも小僧らしいほどの、色の分量とその動きの巧みさには深い共感を覚える。勿論、外国映画の儀れたものが輸入されるのであって、一般的とはいえないが、見るものには、例えば古く「巴里のアメリカ人」の頃から、最近の「アラビアのロレンス」にみる様な知的な色彩映画に尊敬を覚える次第である。今日、ぐる」を見る。アルフレッドハウゼの舞台の色彩がすばらしい。音楽の美しさとともに、深い感銘をうけた。(カット・桜子)HKの「音楽は世界をめ6 随想冬紅葉

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