テキスト1966
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•• trk弓・・・・さ’「何年ほど習えばお花が土手になれますか」とたずねられることがよくある。「そうですねえ、まず普通は3年、5年もやると一と通りのことは覚えられるでしよう」というのが、いつもの私の言葉である。一般に、こんな質問をする人は、それほど難しい考え方でなく、趣味教養としての「いけばな」を、世間ぞ真実桑原専渓なみに考えての言葉であるから、これをどうのこうのというのではないが、およそ何事にもあれ芸術芸能に関する、ただ―つのことをさえ、完全に自分のものにすることは、中々大変なことである。そのはじめは楽しみつつ習い始めたことが、年がたつにつれて、それを理解するにつれて、段々とむづかしくなり、最初は案外、すらすらと出来たことが、年がたつにつれてむしろ反対に出来なくなる様に忠えるのが普通である。そして、一体自分はいけばなについて才能がないのであろうか、などと疑問を起す様になる。先日、私がつれ、、つれに読んだ吉川英治作「太問記」の一節にこんな文があった。徳川家康が老臣の安藤帯刀に話した言葉の中に、「書は同じでも、心は折々にちがう、従つて読み得る所も、時により同じではない。たとえば、中庸にせよ、論語にせよ、二十歳代に読んだのと、三十代、四十代になって読むのとでは、大いな差がある。また書物は、そのようにして、くば、真実の書とは申されまい」というのがあった。中々、示唆に富む言葉であって、私達の同感を覚え一庄読める書でな花器るところが多い。「私達のいけばなでも、目にふれる四季の花、いろいろな多くの種類の草木も、年ごとに同じものをみつめても、それを見る心は、その人達の花道の理解が進むにつれて、決して同じものではない。稽古3年にして活ける女郎花も、10年にして活ける女郎花も、材料も季節も同じだが、それを理解し、表現する方法は異るものである。この様に一生を通じて、常に新鮮な心をもついけばなでなくては、真実の花道とはいえない。」私達の花道に、さきの言葉をかりていいかえればこの様になるであろつまり、稽古を重ねているのに`段々むづかしくなる、というのはここのところにある。いけばなの真実のよさがわかり、自分の技巧がすすむにつれて、同時に自分の作品を批判する力も増してくる。そして、自分の貧しさに気づく様になる。この時こそ、より上に階段を登る大切な時に、さしかかつていると考えるべぎであって、中々、気を落す場合ではない。先代家元は、「初心者は手先で活け、いけばな土手といわれる人は腕で活け、名人ともなれば心で活けるものだ」という言葉があった。つまり、精神をつくらなくては、立派な花が入らないものだ、という意味である。真実をつくることは中々、ことである。ぅ。大変な毎月1回発行桑原専慶流No. 43 おみなえし白ききようあい絵花瓶網集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1966年9月発行いけばな

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