テキスト1966
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1C'O。ヘージばかり、花は本郷3丁日頃、健康であるだけに、さて病院生活をはじめてみると.中々病人らしいふんい気になじめない。たベものは人一倍たべるし、どこが痛むという訳でもなし、ただぶらぶらと手あたり次第に本を読んだり、花を活けたりして時間をすごす。本はなるべく気軽な文芸もの一日目から配達してもらつて毎日の様にとりかえる。勅使河原さんからカトレアの美しい鉢植をいただいた。天気のよい日をみはからつて、上野公園の近代美術館へ行き、お茶の水あたりのうまいもの屋を訪問する至って自由な生活。歯科医大の建築場の前を通り、お茶の水橋を渡つて、いつも学生でごった返す環状線お茶の水駅を右へ少し曲った町、にH画材店がある。その隣に美しいデザインの凝ったスリツ。ハ屋。御婦人向きのしやれたスリツ。ハ専門店がある。さすがは東京、美術スリッパで商売がなり立つものと見える。さて、H画材店のウインドウに、すばらしいいけ花を見つけて、私は思わず足をとめた。よくなれた古い白竹の向うがけの懸かごに、花はシラボシカユウ一種、花2本葉3枚のアテチョークの皿盛る9その他は洋画用の商品いろいろ。小さい花である。別に珍らしい花でもないのだが、ほとんど黄ばんで半ばは褐色に枯れた状態が、この上もなくさびた竹籠に調和している。その前にさびた朱色の煉瓦3枚が横並びに置いてあ‘煉瓦をあしらったその考え方は、さすがは商売がら巧いものだな、と思わずため息をもらす。東京の意匠の一ばんいいところを、しかもなんの嫌味もなく見せた傑作。いい色、病院生活の私にはかなり強い刺戟であった、ぐわんとやられた小僧らしい花。銀座高島屋のウインドウはいつ見てもすばらしい、店内装飾もよい、わざわざ見に行く価値十分。四丁目和光のウインドウはこの新年のいけばなをふくめて、その後、あまりよくない。新橋寄りの資生堂のウインドウはいつもすつきりとしている黄色のカラーと葉が洋画材料屋に渋い向うがけの籠、が、あまりにも美術家の専門作品の臭味が多く好惑がもてない。商業美術は商業美術としての大衆にとけ込む性格が必要なのではないか。銀座の千疋屋は白と紫がお好き、店内の小品花に白と紫のいけ花をよく見かける、明る<美しい。病院生活も段々なれて来ると、自分の家庭の様に思えて中々楽しいものである。一階の棟をへだてて、好仁会の食堂がある。しゃんとした着ものにかえて、何かおいしいものはないかしらと、毎日の様に出かける。ある日、ふと見つけた面白い花があった。アテチョークの首だけちぎつて、ちょうど果ものの様に籠に盛つて売つている。ガラス皿にぽっんと一個置いて病室の飾りにして下さい、という訳。大きく紫の花弁の出たのが一個七十円、小さくまだ青いのが四十円、中々面白い着想だと感心する。食堂に入ると全部の机の上にこのアテチョークの皿盛りが飾つてある。なんでもない考え方なのだが、くだものの様に皿に盛ろうとする考え方が楽しい。しかも、花屋でなく果もの屋で売つていることも愉快である。その後、京都の花屋で聞いてみると、京都ではみな枝つきでそんな売り方はないという、平凡なことなのに私達には案外、気のつかないことが多いものである。(専)6月はじめより7月中旬へかけて入院生活を送りました。皆さまの御心配をかけて相すみません。すつかり回復しまして、ぽっぼっ活動をはじめています。この上、御心配をかけてはと思い、簡単に経過を書かせていただきました。6月1日。東京大学附属病院に入院決定。(ぜん立腺肥大症)6月2日。いけばなテキスト41号の写真をとるため、終日挿花撮影。6月3日。東京に行く、東大病院にて高安博士の診察をうける。6月8日。入院、身体の状況は殆んど普通と変らず、病室に入る。6月9日。テキスト写真、病室到着、6月10日0より連日、身体各部の精密検査をうける。今日より病室でテキスト原稿を書きはじめる。6月17日。テキスト原稿出来上る、直ちに京都西湖堂印刷所へ発送。6月18日。局部小手術をうける、食塩水注液数時間に及ぶ。発熱39度6月22日。いよいよ手術日、高安先生の御執刀をいただく、痛みを感ぜず、夜、テレビを見る。6月23日より27日まで就床安静゜6月28日。起床する経過良好。ぽっぽつ机の上の書きものを始める。7月7日。退院、麻布の阪田修、ひさ子の宅へ帰る。病院三十日専渓(入院中、勅使河原蒼風氏、小原豊雲氏をはじめ華道家の皆様の御見舞をいただき、また京都大阪の皆様もわざわざ来院、お見舞をいただいたことは感謝に堪えません。)7月8日。ホテルオオクラにおいて退院自祝のための会合。7月9日°麻布。フリンスホテルにてお世話になった人達との会合。7月10日。都内各方面の御挨拶廻り、午後6時東京発にて京都へ帰る。7月11日。身体快調、午前10時、HKテレビ放送録画撮影のための打合せのために係員の方達来宅。京都新聞「美のこころ」の写真原稿の打合せのため社より御来宅、懇談の上、方針決定。7月12日と13日。NHKテレビ「日本の伝統」の撮影のため写真班来宅、終日撮影。7月14日。京都市役所関係方面へ御挨拶に行く、京都新聞原稿取材のため伏見稲荷神社訪問。7月15日。テキスト42号原稿を書きはじめる、京都新聞原稿を送る。7月16日。土曜日、今日から久し振りの宅げい古、終日挿花。7月17日18日°終日かきもの。7月19日。午前9時の列車にて東京へ行く、赤坂ホテルオオタニにおいて、花道協会創立に関する協議会出席。(東大病院へ御挨拶に)7月20日。午後10時帰京。8 N

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