テキスト1966
48/75

清々しい朝°モヤの中から陽が昇るにつれて、露をふくんだ花や葉がきらめく。きらめぎは夏のようようのポーズのうちで、最も神秘な美しさがある。爽やかな野の草花は、生気に息づき、あざやかな色調で装う。このような情娯を、自然そのままの姿に生けるのではなく、そのみとり、他の花材、風変わりな器と組合すことで、よりいつそうに野にある美を効果的きーらめ_く夏の一花に見せる。左の作品は、筍の皮であんだ民芸品の小物入れ。これにおとしを入れ、おみなえしを挿した。主材をより際立たせるために、白と赤の大輪のカーネーションを、やや大振りにそえる。光の乱舞といった気分であろうか。下の作品は、シックな朱色のうるし塗りの盛物器。これは水を直接いれるわけにいかないので、おとしとしても使える水のはいる剣山を二箇左―つの素材を摘右に配し、左にはごろも百合右に紫らんの葉と実を、のびやかに挿した。朝の草花のデッサンである。(盛花)はころもゆりしらん↑(盛花)おみなえしたプログラムが放送されます。この中に、桑原専渓宅で撮影された写真が、いろいろありますから、御覧下さい。NHKテレビ8月9日午後11時10分|_|40分までNHKテレビに燥ク「日本の伝統」12日午前11時20分_|50分まで(再)カーネーション「涼」と題して、京都の夏を取材しタイトルの名前、あんまりビンとこない向きもあるが、本当の所どのように書いてよいのやら、私自身もさだかでない。で、とりあえずこの名前のよっていたる由来を述べてみよう。私がいけばな又はそれに類した造形で、装飾的なモノ(オブジエ)を作り始めてから、今年で十三年目となった。最初みようなヒッカカリから、ヘアーショウの舞台装置を造つた時から、この仕事の面白さにひかれて、現在までにそれはもう、いろいろさまざまな分野で仕事があっ。fこ 多い時は毎週。平均して月に一回、大きなもの、ズラリと小さなもの。一時的な作品、永久的なオブジェ。分類も整理もできないものだった。これら種々雑多な制作のなかで、私の念眼に一貫してあったものは、西欧のワレとモノを対立した次元でとらえる即物性にたいし、ワレはモノと共にあると観る。東洋の精神主義に支えられ、いけばなの伝統的なカタチを、ユニークな素材で、表現しようとしたことだろう。デコレーションとしてのいけばなは、注文で作る以上、その費用を提供するスポンサーがあり、この施主が常に理解と寛容があるとは限らない。現実はその反対が多いのだが、それを如何に説き、如何ほどゼニをいけばな装置4 //・

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る