テキスト1965
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専渓この頃のいけ花を考えてみると、非常に範囲が広くなり、どこまでがいけ花なのか、一体、これはいけ花といえるものなのかと、とまどう場合があります。展覧会などでみる作品には随分変ったものがあり、「今日のいけ花」という根本的な問題について、考えさせられることが多いと思います。広辞苑をひらいて「いけばな」をしらべてみると、いけばなとは、草木の枝、葉、花を切りとつて、水を入れた花器にさし、席上の飾りとするもの、またその技術。と記されている。これはいけ花に対する基本的な考え方で、永い時代を通じて今日に伝えてきた、常識的な考え方であります。また、一般の人達が考えるいけ花への認識も、殆どこの程度ではないかと思います。全くそれには違いないのですが、ひろく考えて芸術の世界は、そんな正統的な考え方や、技法技術にとどまるものでないことは当然であって、時のうつり変りによってその性格も変化することになり、また、いけ花を必要とする、生活環境も大きく変化しております。いけ花の考案、制作の方法技術、その使用範囲(用途)なども、広く大きくなった訳であります。これまでのいけ花の考え方では、どうにもならない用途が段々と多くなった訳でもあります。従って今日の時代に必要な新しいいけ花が必然的に作られている、というのが今日の現状であります。日本の絵画を考えてみても、日本画、洋画とはつきり区別を立てて区別された時代がありましたが、今日ではその区別をする必要もなくなり、ひろく日本の絵画として考える時代になっています。絵画だけではなく世界のあらゆる芸術美術の考え方、制作の方法が相互に研究採用されて、その表現の仕方はいろいろあつても、その考え方は世界共通の立場に立つて、高い芸術をつくり出すために努力している今日であります。これは絵画、彫刻、建築その他の造形芸術も、音楽、演劇、舞踊、能、などの舞台芸術にも同じことがいえる訳で、あらゆる芸術の分野において新しく展開されている現代の芸術運動の方向といえます。いけ花の分野においてもこれと同じ考え方が必要であります。植物の自然のままの材料を花瓶に挿すという技術は、いけ花の基本的な考え方であって、これはどこまでいつてもその通りなのだが、基本的なその考え方にワクをきめて、ここまでがいけ花だときめてかかることが、今日の時代においては、すでに適当ではない。という様に変化して来ております。実際の状態をみると、今日、殆どの場合に使われているいけ花は普通の植物のいけ花であります。全国の各流派のいけ花を習う人、その他、家庭に花を活ける多数の人達や、人の集る場所の花、オフィスに飾る花、いろいろな場合のいけ花は殆どが伝統的な形式の生花、自由形式の瓶花の類のいけ花を活けている訳であります。それらを綜合してみると、その作品の中に、勿論、進歩的な考え方はあっても、全体的にみて常識的ないけ花であると見て誤りはありません。これは日本のすみずみまで行きわたつているいけ花の現代の姿でもあります。さて、一方をふり返つてみると、いけ花が芸術である以上、たえず時代の進歩発展につれて、常に新しい研究と新しい作品をつくり出す、創作活動がなされていることが必要であることはいうまでもありません。この新しいという意味の中には、伝統的な花道を全然異った角度から研究し、新しい様式の作品をつくり出そうとする、そんな態度もありますし、全然、これまでのいけ花の考え方を打ち破つて、造形美術として新しいいけ花をつくるという仕事もあります。戦後の日本の美術界が進歩的な目椀をみつけ出した様に、私達のいけ花も丁度、この時期を同じくして、新しいいけ花活動を開始したのです。これまでの自然主義的ないけ花の上に、その範囲から飛躍して、いけ花の造形的性格に新しい考え方を加えて、その形式、材料の選択、その技法などの上に、全然ことなった方法をとり入れて、新しい作品を作り出しました。「花道の造形」の一分野を目ざして出発を始めたのであります。8 材料・きじのはねあじさいの造花さんきらいばら植物以外の材料を交えたいけ花① 今日現在,行われているいけ花,また,そのいけ花の範囲についての問題今日のいけ花

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