テキスト1965
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ほんもの、にせものという言葉がある、にせものはほんものを贋造して作ったもので、贋書、贋印、贋札などの法律をおかすものから、一寸、人目をごまかす程度の軽いものまで、にせものの種類、段階も中々多<範囲もひろい。偽物とは少し意味の違う「似せもの」という言葉がある。同じ発音だが似せものは、はじめから真実のものを模して作ることを、最初から表示したり、又は承知させる方法をとつてあるもの、つまり、ほんものにどれほどよく似ているかというところに、似せものの技術の価値が、別の意味の面白さや価値を生ずることになる。平安朝後期から錬倉時代にかけて流行した大和絵肖像画の中に、藤原隆能、隆信(神護寺所蔵の平重盛像及び源頼朝像)とその子信実(水無瀕宮所蔵後鳥羽上皇像)は最も著名である。古い陶器の名作の様式を写した「何々写し」という言葉。古画や新画の名作を写した「巧芸画」と称するもの、これらは似せものであって、偽せものではなく、似せものの定義をはつぎりともつ作品といえる。関西人の言葉に「ほんまもの」という言葉がある。「ほんまもの」は「ほんもの」と同義語なのだが、「ほんま」のまの字に関西語特有のニューアンスがある。「ほんま」は「うそ」に対する反語なのだが、この「ほんまもの」には、そのものの真実、信頼、蒋敬の気持が多分に含まれている。あの品ものは「ほんまもの」という外面的な信用よりも、あの人間は「ほんまもの」だといったり、あの人の事業は「ほんまもの」だという様に、人間の信用をはかる大変便利のよい言葉として使われる様である。そこで、この言葉を私達のいけ花にあてはめてみる。いけ花の作品、それをつくる人、それから流派流儀というもの、を考えてみると、「あれはほんまものだ」と真実に筋の通つた真面目な花を活け、まじめな流派活動をしているのが、どれほどあるであろう。新しい花を活け、創作的な造形をつくるこの頃の花道の中に、いわゆる「ほんまもの」の仕事をする人達がどれほどいるだろう。私達は日頃、永い期間のうちに多くのいけ花をいける。作品の上手下手、よしあしは、その人その人の修蓑の課程によってかわるのは、当然なことだが、願くば真面目な研究と、そのほんとうのものを自分のものにする熱意と、まやかしのない「ほんもの」の勉強をしたいものである。先日、さるところから仙台のおみやげに干菓子を一箱いただいた。舟町橋の石橋屋の「だがし」という菓子。名物の菓子は多い。ことに京都の菓子の中には風味意匠ともに優れたものが多いが、この石橋屋の「だがし」は素ぽくな意匠と、駄菓子の古い味わいを二十余種とり揃えて、そのえてつくられてある。近頃、まやかしの多いみやげものの中に、「ほんもの」の楽しさを味わうことのできた菓子であった。(専渓)一っ―つに深い愛情を加7 ほんもの

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