テキスト1965
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c このあたり秋祭なる草の原花材えのころぐさ、りんどう、秋のきりんそう花器古伊万里鉢作意のどかな中秋の村落を感じる句である。明るい秋の陽ざしを思いおこす小春日の風趣。畦みちには秋のきりん草(やなぎそう又はうこん草)が深い黄色を彩つて、えのころぐさがのび切って群つている。近くの山には竜胆が咲いているであろう。この状景を心にして盛花を作っ中塚響也た。花器は渋い味わいの古い染つけ鉢°雑然と群つた調子に活けてその情趣を描こうと考えた。さて、「俳句といけ花」の調和を考え、その心に涼うた花を活けようと思うと段々とむづかしくなってくる。いわゆる俳趣という、句のもち味をよく活かした花を活けたいとまず第一に考えるし、それには花材花器の選択が一ばん大切であるし、その上、いけ花の形もいろいろ考えさせられる。表面的な形だけでなく句意のあるところを巧く表現することが中々むづかしいものである。c ⑪ 作意旅をりんどうに旅をはるけき山河見ゆ花材しだ花器んこ)掃りついた旅人、最後に越ゆる峠道、ふるさとは目前に見える。はるかにきぬる桂樟踪子思いをのべた句であろうと思う。ななかまどりんどうこんな気持でこの盛花を作った。ななかまど、りんどう、辰砂扁壺(しんしやヘしだの3種を配合して山路の風趣をうつした。りんどうを重ねて潮<故郷へ高くして草原のかいまから望見する故さとのはるかの山や村落を足下に見る、その心をいけ花に作った。秋はすでにものかなという深い。なっかしい故郷はすぐそこにある。以上、四つの俳句を選んで、それにちなんだいけ花をいけてみた。さて、作っては見たがどうもひとりよがりの「べたづけ」の様な気がして仕方がない。花の名にとらわれずもっとのびやかな視野から、花を活けたのがよい様にも思う。例えば見えてゐて遠き隣や秋の雨花材すすき一種の瓶花という様こ。,“, 以上、俳句によせるいけ花を作った訳ですが、よく考えてみますと、これらのいけ花は俳句の趣味に調和することを考えて作った作品で、いけ花の中の意匠花ともいうべきものです。茶室に活けるいけ花は茶を味わうために色を添える花であって、これもいけ花本来の本当の姿ではありません。花はいろいろな場所や趣味に調和することを考えて活ける訳ですが、花道としてはそれが大作であろうと小品であろうと、いずれの場合も技巧のしつかりとした作品を作ることが大切な訳です。ここに掲げた「俳句によせるいけ花」4作は、俳句の趣味を考えながら、しかもいけ花としてもしつかりとした技法を加えて作ったつもりです。この二つの面を考えつつ見て欲しいと思います。3 D 事

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