テキスト1965
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私の手もとに明治四十五年一月発行の「華道大観」という本がある。活版のA5判で厚さ3センチ程度。とじは大和綴りの、いかにも明治のにおいのする書物だが、いけ花の故実歴史から、実技の指導まで書いてある「いけ花全集」といった感じの本である。著者は大阪府西成郡千丹村、松尾英四郎と奥附に記されており、定価は参円。さて、この本の中に一章を別にして「現代名家の対花観」というのがある。その頃の(明治四十五年)文人名家の人達百名あまりに、いけ花に対するアンケートをとり、それが発表されてあるのだが、今からふり返つてみると中々面白いので、ここに借用してその時代を味わって見たいと思う。明治末期というと、伝統の生花のまだ盛んな時代で、漸く盛ャ‘専渓花瓶花がはじまつて、自然趣味の挿花法が流行しはじめた頃。ことに知識階級の人達の間に投入花を好む人が多くなり、伝統の生花から自然風な投入花への転移の頃でもあった。丁度その頃に出版された華道大観のうちの「現代名家の対花観」をひらいて、その中から適宜抜幸してここに転載する。(以下原文のまま)「現代名家の対花観」最も愛好する草木花井に花器挿生の花に対する感想回花に対する感想右の項目に依り左の諸名家諸君は特に本書の為に言を寄せられたり(愛する花は)萩の花、竹(瓶花生花は)はなやかなるよりもわびしきがよろし。(花に対して)花を見る間はつかれしたましひも、共にかをる心地すれば、何よりもなっかし。(愛する花は)菊、桜、りんどう、他に猶多し(瓶花生花は)花のために感謝したき様に挿されたるは、此上もなくぅれし(花に対して)うつくしとおもひ、あわれとおもふ(愛する花は)小生は人間でも大概な人間が好きなやうに、大概な草幸田露伴高浜虚子長谷川時雨木皆好き(瓶花生花は)「我庭に瓶に挿む梼哉」といふ、召使の句(花に対して)漠然たる問題ですねお互に窮します(愛する花は)草花にては水仙、おだまき、桔梗、白百合、木にては落葉松の新芽を最も好む(瓶花生花は)花器に挿したる花は置き所との調和如何によりて美とも見え、醜とも見ゆ、その家その室との調和なき生花は見ぬにまさる。西洋問に巧なる生花のあるは最もいやなり(花に対して)花は美しと見る外何もなし、見る時々の感想はその時々にて異なれり(愛する花は)しやぽてん、わりすねりあ、すひかづら(瓶花生花は)花器に挿したる花は自然の趣あるを愛で候(花に対して)花は好きに候、それゆえ華道をいふ人達のために虐げらるるが気の毒でならず候、華道、武士道、電車道これ小生の嫌ひな三道路に候(愛する花は)何れの花にてもそれぞれに趣を感じ候まま特に愛を深<致す花とては無之候、但し栗の花、十薬の花などは好まず候(瓶花生花は)何れにせよ自然の姿を失はず調和を得たるを好み候、あまりに人工的なるはよろしから与謝野晶子相馬御風薄田泣菫ず候、自宅の瓶には大低投げ込みに致し居り候(花に対して)花と婦人の心持とは共通する所有之候、わがさびしき心を引立たせ、うれしき心を表はすものは花に候、他の自然物はそれほどの感銘が無之やうに候(愛する花は)如何なる草木花井でも愛す可く、又賞可であるが小生の最も愛するはバイヲレットと梅である盆皿花生花は)日本の所謂生花に対しては時には余りに規則的で、余りに圧制的の厳粛を感ずれども、接する度を重ねるに従って、自然その中に自由と美を感じ来つて、日本の室には是非共無くてならぬ(花に対して)花に対する感想は時と場合に応じて異つて`今互に一言ではいひ兼ねる。近時は昔日の如く花を慕う念が蒟らいで来た様になって、人を愛する惜が深く成つて来た。必施自分の年が増した故であろう。(愛する花は)桜(瓶花生花は)と不調和ならざる時の外は一種の軽快なる美を感ず(花に対して)花を見る時は常に自己の生活を豊富にせむことを思ふ(瓶花生花は)日本の生花は無意味でなく、一の理想を含め惑情を現し道徳に訴んとしてをると聞いてH吉井湧川室内の建築及び装飾独逸コッポ博士野口米次郎深き興味に打たれた。それから日本の美術には総て是等の義が含まれてをりはせぬかと思はれるやうになった。日本式の茶ことにテープル茶は面白く惑じた。此テープル式の日本茶は少しも窮屈に感じなかった。(花に対して)日本で感じたのは裏長屋のやうな、お粗末の家にでもその戸口に、すり鉢や土瓶の不用物を植鉢に代用して花を愛して居ることであった(明治四十一_一年)(愛する花は)樹木の花よりも多く草花を愛し申候、とりわけバラ、ヒナゲシの類、また名しらぬ花など好み候、木の花は料が好きに候。(瓶花生花は)生花の趣味は庭園を見る面白味と同じ感じがいたし候、諸流派の如何に関らず、とりどり無味も覚え候が、野より摘み来たりたる花を無造作に瓶にさしたる方愉快に感ずること多く候。花は何にてもよく候(花に対して)花は何にかかはらず愛好いたし候。色は濃く快活なるか、菊<夢の如きかが楽しく候。花に対位はいつも恋しき心を得申候。(愛する花は)一切皆よし、就中、桜、菊、コスモス(瓶花生花は)優美と思うより他に感想なし(花に対して)花は自然界の恋愛也。土井晩翠路柳虹8 “ 古い生花書から名家の対花観

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