テキスト1965
43/82

いけ花は家庭に飾ることが一ばん多いのですが、その他、多くの場所の装飾として用いられます。これは陶器の中での茶碗や花を活けるための花瓶と同じ様に、実用的な用途をもつている訳です。陶器が工芸といわれ、いけ花が実用的な芸術であるといわれるのもこの理由によるものです。私達が花を活ける場合、大部分が家庭に飾る花を活けます。―して活けることにもなる訳です。家庭に飾る花を、いつも芸術を作るような気持で活ける人は少いと思います。それではいけ花は趣味娯楽のたぐいかというと、決してそれのみでないことは当然なのです。すれば、いけ花が趣味の花としての場合と、芸術としての価値のある作品との区別をどこにつけるかという問題になって来ます。作品という言葉にしても、どのいけ花でも「作品」と呼ぶのかというと、中々全般的にそうも考えられないのです。作品というのは「芸術的な内容をもつ文学美術その他の制作物」のことであって、芸術を作るその成果であります。芸術的に価値のあるもの、これが作品と呼ばれるのにふさわしいものであり、またそれを作ることを制作といいます。製作は単にものを作ることを意味しますが、制作は「芸術的な考えをもつて作られたもの」。こんな場合に使う言葉です。どれが実用的な家庭の花で、どれが芸術的な作品か、ということをきめるのは、中々む‘つかしいことでありまして、一っ―つのいけ花を見て考えるしか方法がありませんが、一ばんわかりやすいのは、それを作る作者の「そのいけ花に対する考え方と、、そのあらわし方」を見るのがよいのです。一例を挙げて言いますと、この。ヘージの写真「グロキシニア、アテチョーク」の瓶花。このいけ花は普通の家庭つの趣味と花2作」も同じ様な性格の作品です。の花ではなくて、花器といい、花材といい、強い惑覚がその形と色調の中に流れています。この花器に調和する強さの花材を選んで、どつしりとした重批と色調を作り出しています。このいけ花を活けるために、よく考えよく計算して、結果として成功していると思つていますが、こんな作品はいけ花芸術に入れるべきではないかと思っているのです。ところが、4。ヘージのRRcの三つの盛花瓶花はそんな深いものではなくて、私達の習う基本花型を示した花で、部屋に飾る装飾のための軽く、美しいいけ花です。これは花材の分量が多いとか少いとか、花器が立派であるとか小さいとか`そんなことに関係なく、その作品に芸術としての香りがあるかどうかにあるわけです。これは作った私が言うのがおかしいので、御覧になる皆様方が批判することなのです。要するにそれが家庭の花であろうと、どこに飾る花であっても、その作られたものが「作品」として、価値があるかどうかによって、いけ花芸術になり得るか、或は家庭に飾る趣味のいけ花にとどまるかという、その境になる訳です°習いつつある皆さんは美しいいけ花、技巧の優れた趣味の花を活けることが一ばんよい訳ですから、あまりむづかしく考えない方がよいと思います。勿論、家庭のいけ花であっても美術的なよいいけ花を作ることは望ましいことです。2。ヘージの「ひまわりの盛No. 32 毎月1回発行桑原専慶流いけばなの性格桑原専渓網集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1965年8月発行いけばな

元のページ  ../index.html#43

このブックを見る