テキスト1965
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花器の中には活けやすい花器と、活けにくい花器がある。買うときは自分の好きな花器と思って選んだに違いないのだが、さて、手近かに置いてみると、すぐいやになったり、活けてみると案外活けにくい花器がある。花器屋の店さきや百貨店の売場であんなに気に入ったのに、花を活けても調和が悪いという花器も中々多いものである。すきな花器桑原専渓幾年月の永い間に、幾度も幾度も活け替えても少しも見あきのしない花器、そんな花器を選びたいものである。事実、数多く花瓶があってもその中に一っ二つは好きな花瓶があるはずである。その花器は形も色調も、どの花にもよく調和する性質のものに違いないし、春夏秋冬のいつ活けても使いやすい花器に違いない。陶器として立派なものであっても、いわゆる名作であっても花うつりの悪い花器がある。一000円以下の安い花器であっても花うつりの良い花器がある。陶器を鑑賞し楽しむ、と云う意味とは別に、花が活けやすいということを考えると、それにはそれの選択の仕方があるものである。要するに値段が高くとも安くとも、そんなことは別にして使いやすい花器、好きになれる花器が欲しいということである0形のよい花器、色の美しい花器、適当に落着があり、適当に明るくモダンである花器、注文は中々多いけれど、要するにいつまでもいっまでも好きになれる花器、それを買うとき選ぶときに定めることである。これは中々大変なことで、花の材料を買うのと同じ様に、簡単に考えれば気軽なことでありながら、よく考えれば中々難しい。わかればわかるほど難しいものなのである。永い年月に花器を買い集めて、今日、それをふり返ってみて、つくづくとながめてみると、随分つまらないものを買ったものだと苦笑することもあるし、また自分のその頃の花道の知識をもおしはかる様に考えられて、わびしい思いをすることもある。なぜこんなつまらない花器を買ったんだろうと、年月がたつにつれて段々とわかつて来るものである。これはいいかえれば花道に対する自分の目が高くなったことであり、技術に対する知識と自信がしつかりして来たしるしでもある。私はこれまで随分たくさんの花器を買ったc恐らく幾万というほどの花器を買ったに違いない。その一っ―つに対して形を考え色調や図案をよく調べて買ったに違いない。それほど注意していても、今になってみると随分つまらない花器がある。ょくもこんな花器を、と思うものが相当数あって、なるほど花器を買うのは難しいものだとつくづく考えさせられる。趣味の買いものだけに、花器はわざわざそれを買いに行くのではなしに、いつとはなく見つかった時に買うのがよい様である。必要だから買うという買い方は失敗することが多ぃ。楽しみながらゆっくりと選択をするといった気持で買い集めた花器は、いつまでも愛着が深く惑じられるものである。シラボシカユウの葉3枚、早生ヒマワリ5本を材料に使って盛花をつくる。左と右の二た株にわけた分体花型である。中央に空問をあけて左右の比型を対照的に作る。ヒマワリはオレンジ色、カユウは濃緑に白いホシの入った美しい葉であって、この葉の組み方に工夫がある。3枚の葉をどう組むかによってこの盛花がよくもなり悪くもなる。花器は薄ずみ色の横長の水盤で、この花型にはこんな形の花器がよく調和する。分体花型(写真)毎月1回発行桑原専慶流絹集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1965年7月発行No. 31 いけばな

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