テキスト1965
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は1本ずつ軽く盛花の中へさしこむのも美しいが、また、この写真の様に数多くかためてさし並べると、面白い形が作れるものである。この盛花はスイトビーを20本あまり、足もとを三たばに束ねて、花を上方に横ならびに並列して変った形を作り、その前方の下にユーカリをこれも左右に並べて、左右対照的に(No.9)スイトピーという花花型を作った。スイトピーは淡紫の花。ューカリの青く白い葉に調和して、この盛花は明るい感じの中に、異国情緒といった味わいが深い。集団のスイトピーの花が、花の造型をつくつているところに特徴がある。ューカリは右前より少し垂れる茎を入れ、左の方はやや軽く入れた。左方のスイトビー2本も軽く入れて花型に変化をつけてある。材器花花随筆, いみず苔わ専渓(夕刊京都新聞掲載)けばなでは、みずぎわ(水際)の技巧が美しいとか悪いとか、かなりやかましくいわれる。花を花びんに挿したその足もとのところを、花道ではみずぎわというのだが、これは伝統の古い立花(りつか)や、生花(せいか)では特にきびしく考えられるし、また実際に一ばんむつかしい最後の仕上でもあるわけで、みずぎわのまづい生花は、足もとの悪い踊りみたいなもので、全体の形までも安定が悪く見えるものである。大体、みずぎわという言葉は、水に接したところ、水辺の土地と水との一線に見えるところ、水辺の草木と水との接点、そんな意味から始つて「みずぎわ立つ」「みずぎわだった技巧」とか、いろいろ形容されるわけなのだが、華道では花器の水といけばなの足もとの接するところ、つまり花器から出る花の足もとのことを、「みずぎわ」というわけである。一般にいわれる「水際」という言葉の中には、あざやかにきわ立つ美しさをすぐ惑じるように、いけばなの「水際」も美しい仕上の一ばん必要な場所とされており、これは江戸時代のいけばなでも、今日の最も新しいといわれるいけばなでも同じことである。また、花を習い始めの人でも、った先生方でも同じように、むつかしく思うところでもある。いけばなのみずぎわに、すぐ関係があるのは花器である°私たちがいけばなを作る場合に、みずぎわを一つに寄せ合せてみたり、離して空問を作ったり、花びんの前へ花や葉をのせかけ重ねあわせたり、いろいろ活け方を考えて、足もとの変化を考える訳だが、その場合に花器の高さ、胴ばり、その形全体、色調彫刻図案などがすぐ、いけばなに影響してくる。反対にいえば、花の活け方が花器をよく見せたり悪く見せたりすることにもなる訳だが。たとえば、陶器のつぽなどに活ける場合、その花器が不必要に高すぎたり、図案がまずかったり、焼き上りの悪い色調、趣味の悪い花器など、花が活けにくいだけではなく、花器と花との結びあいがどうもしつくりとしないものである。私は、そんなことでできるだけ自分の気持にびつたりとした花器を選ぶし、花を活けることを計算してい二十年、一―-+年の年期のはいない花器には花を入れないようにしている。陶器を引ぎ立てる花でもあり、花を引ぎ立てるための陶器でもある訳だが、いけばなの方からいわせてもらうと、美術的な鑑賞作品は別として、実用のためのいけばな陶器は、花を挿すことを考えて作ってほしいものと、常々考えている。っぽに花を入れる場合、花の下葉が垂れ下がったところ、つまり陶器の口もとのあたりが、いわゆるみずぎわとなってくるので、その辺の美しさが、いけばなでは一ばん大切なところなのである。これも花器の方から考えると、その口もとの辺に陶器の技巧が多いわけだから、そこをうまく活けてほしいということになると思うのだが、要は陶器をよく理解する華道家、華道をよく理解する花びんが、しつくりと結び合うことが大切、ということになる。水盤に花を活けるとき、剣山という花留具を使うのが普通になっている。これは大変便利のよいものだが、形としては全く殺風景なもので、下葉のかくれる場合はよいのだが、見えすいて姻山につきさされた花の足もとは、あまりよい惑じがしない。こんな器具も、もっと美しい形のものが作られることが必要だと考えている。5 スイトピーユーカリ白泥色陶器

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