テキスト1965
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なにごとにもあれ、ものを習う場合には、ただしく筋道にそつて、ちようど階段をのぽる様に徐々にたゆみなく、自分を稼み上げて行く。いけばなでは、それを作る方法を知り、自分でそれを作り上げる力を養うことになるのだが、段々と上達するにつれて、自分のつくる作品はめききー桑原専渓いうまでもないことだが、他の人の作品についても、そのよしあしをはつきり見分ける力をもつことが大切である。よいいけばなを作るためには、作品のよしあしについて、正しい鑑賞をする眼をもつことが大切である。鑑識(かんしき)という言葉がある。ものごとのよしあしを見分ける力のことであるが、いいかえれば、優れたもの、つまらない作品をめききすることである。世の中にはあらゆるものごとについて、優れたもの、つまらないもの、ほんもの、にせものが多い。芸術作品といわれるものを見渡しても、玉石がまじりあって、正しく見分けることは中々大変なことである。私達のいけばなを考えても、形だけは一応うまく作れておつても、平凡な色調、下品な好み、古くさい形式、いろいろ低級なものがある。反対に新しい手法と美しい技巧や、色調、感覚の優れたものがある。私達はいけばなを勉強するためには、このよぎものつまらないものを正しく見分ける能力をもつ様にすることが必要である。いけばなの正しいめきき(眼識)が大切だということである。私達、桑原専慶のグルーブは立派な技巧のいけばなを活けることに常々、精進しておるのであるが、同時に、高いもち味のある芸術的に豊かな心のこもった花を活けたい。人の心はさまざまであって、低級な趣味にまき込まれる人が多い。ことに流行的なものにまき込まれる人が多い。いけばな材料の配合をする場合にも、花器を買う場合にも、花を活けるその形にも、そんな流行作品の低俗なところを真似たり、そんな性質のものに共鳴する人がある。これは、その人の信念がしっかりしておらないことにもよるが、肝心なことは、ものの善悪良否を見分ける識見に欠けているからである。よいいけばなを活けたいと思う人は、技法の勉強とともに、よきものを常に見て、高い目を狸うことが大切である。多くの人達の中にはこんな考え方の正しい線にそつて、徐々に着々と理想の境地へ進んで行く人も多いが、中には、教養の優れた人で芸術に対する批判鑑賞については充分すぐれた目と知識をもちながらさて、実際、花を活けると案外、上達しない人がある。こんな人は知識は充分もちながら、実技の勉強をしない人で、いけばなは作品が至上である限り、ものを知つてそれをあらわすことの出来ない人であり、習う人としてはこれも無意味である。私達はよいお花を活けたい。上品で明るくて、知的な深い内容のあるお花を活けたい。そのためには、技巧の勉強のほかに「考えるいけばな」を活ける様にせねばなりません。そして、花を習いながら、他の広い分野の芸術に対して正しい鑑賞と理解ができるように、望みたいのです。優れた眼識、正しいめぎぎができる様に祈つてやみません。2月は多忙にとりまぎれて、休ませていただきました。お送りしますテキストは28号と29号の合併号です。来月からは普通に発行する予定です。御了承下さい。(係)(28. 29 合併)毎月1回発行桑原専慶流花材・ネペンセスカーネーション花器・淡紫手附花瓶絹集発行京都市中京区六角通烏丸西入うす紫に白いうわぐすりのかかつた壺,ネペンセスの枯花とオレンヂ色のカーネーションの配色が美しい。桑原専蔑流家元1965年4月発行,~ いけばな

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