テキスト1964
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私は舞台が好きである。子供の頃から能の舞を習わせられたので、幼い頃からの好きが段々とひろがつて来たのかも知れない。舞台が好きなどと云うと、なんとなくその道の通人の様にきこえるのだが、私のはそれこそしろうとのもの好ぎで、文楽、歌舞伎、能、狂言の伝統的なものから新劇、映画、オペラ、バレーの類に至るまで、その上、日本舞踊の美しさまで、どれもみな好きという大変、間口のひろい、随つて奥行のあさいものずきなのである。ところが、自分が好きなものにはなんとなく縁が行きあうと云うのでまわり舞台専渓あろうか、いつとなく舞台の人と交際をすることともなり、行きづりの様な知己もあり、また、離れ切れない友情を結ぶ人にも恵まれる様になった。また、狂言を習いはじめて終生の楽しみをもつことにもなった。師走の十二月。京都では顔見世の舞台がにぎやかに開演されており、なにかと芝居ばなしなど、町の話題になる頃なので、私もいけばなの中の幕間に想い出ばなし少々書いてみようと思う。そがのや五郎さんとは戦争も末期の昭和十八年頃に南座の楽屋ではじめてお会いした。丁度その頃、千利休の芝居を始められることとなったので、その幕の中にいけばなを活ける場面があり、その型をつけて欲しいと頼まれたのだったが、秩屋町の私の家ヘ一座の主だった人達に揃つて来て頂き、五郎さん、五郎八さん、英蝶さんの女形も交えて、二階の稽古場で、いけばなのその場面を実際どおりやつてもらい、私がいろいろ型を見せ、早速覚えてもらったのだが、その後、南座の楽屋で五郎さんにお会いしたとき、「先生の教え振りには全く感激した」と言って、手近にあった台本に一筆さらさらと書かれたのが、ここに掲げた写真のもの。一堺漁人作「千利休」の脚本である。五郎さんは亡くなったが、五郎八さんはこの頃、テレビでしきりに見ることが出来る。山本富士子さんがミス日本に選ばれて、まだしろうとの頃、夕刊京都新聞社の歳末同情募金のため、京都南座で、素人顔見世と云うのがあり、私も参加して「白浪五人男」の忠信利平をやったのだが、そのとき弁天小僧になって出演した山本富士子さん。私と一緒に芝居をやったのだが、今となつては、これは全く珍らしいお話である。そのとき、しばらくおつきあいをしたのだが、さすが怜悧なお嬢さんで、まった<今日あるのも当然だと、今更ながら想い出している次第である。片岡仁左衛門さん。先生にはいろいろ教えて頂いた。お宅へ伺ったり私の宅へお越し下さったり。お嬢さんのいけばなも桑原専躁流と云う関係素人芝居の山本富士子さんで、ことに私は仁左衛門さんに教えてもらつて、「太十の十次郎」「御所の五郎蔵」「新口村の忠兵衛」など、南座の舞台に出演させて頂いたの数年間に仁左衛門さんとおつきあいをしている間に、歌舞伎俳優のきびしさや、家庭生活のあり方などについて全く頭のさがる思いをうけたことも再々あった。中村富十郎さんや、中村芳子さんにはこれも素人歌舞伎を教えて貰つたのだが、坂東三津五郎さんには京都で芝居のこと、また選挙の応援演説を一緒にやったり、お譲さんと私の娘素子とが同志社の同級であった関係もあって、また、南座の楽屋で芝居のけい古を見て頂いたこともあった。能楽の方は子供の頃から習いはじめて、謡と舞は観世流。京都の観世会支部で先代家元、元滋先生、杉浦義朗、浦田保清の両先生°河村北星氏、弁天小向の俗薗麿大谷慶氏、齊牛――一郎のかわみ稟世の部評判は大したものだ。師走の図在かつさらっ(之は夕刊京都新聞の記事)氏、忠佃訊の対紺流家元粂廊尊△第一回衆人顔見改迎況府連眸叩髭直村力氏、四郷力丸の日赤謀金霊畏田中圧之柚箆などか香ガサをひろげて中風のよらな歩きょう:3それでも台堕――氏、ミス•日本の山本富士云子う感じがするものである。ことに。こ◇昨夜は「白浪五人男」の点げい古が行われた。日本駄右衛門の居沢泌氏、田又臨店社良田又常の諸先生に教えて頂き、数年以前より狂言を茂山千五郎先生につき、七五一―-、千之丞さんの御指禅をうけている。南座の様な大舞台はさぞかし睛れがましくて、目もくらむ様に思えるのだが、さて舞台に立つてやつて見ると案外、気楽なもので、少々のミスはそれほど目立つものでもないし、照明は舞台の方だけ照らされておつて、客席の方は丁度腸かげの様にくらくなっている仕掛なので、舞台でいろいろやつているものには、思いのほか楽なものである。何回も舞台に立つと段々厚顔しくなって、役者同志が小声で打合せているーーと云う様なことにもなる。しろうとの気楽さで、のん気にやつているとせりふ、を忘れたり間をはずす様なことが起つてくる。これにくらべると能舞台と云うものは晴れがましいもので、第一、席がはつきり見えて、目のすえどころ中々むづかしい。芝居の顔は化粧ががぎついので自分の顔でないと云う様な変な観念も手伝つて、案外、無責任なのだが、能舞台の顔は面、(おもて)をつけないときは、全く自分の顔そのままで、顔の所置に困ると狂言は能と違つて、顔の表情や目の動きなどが、身体の動きにつれて変つて行くから、しろうとには、いよいよむ‘‘つかしいものだということが、このごろどうやら解りかけてぎた段階である。3 社累俎陣\ー名文ュ」

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