テキスト1964
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「わび」「さび」と云う言葉がある。漠字では「佗」「寂」と書くこの言葉の意味は、私達にはあAあれかとすぐわかるのだが、さて具体的にいいあらわすのには、中々むつかしい言葉である。この二つは大体、同じ様な味わいをもつ言葉であって、わびは物静かな閑寂な情緒であり、その静けさを楽しむ趣味がここから芽ばえて来る。力か抜ける様な淋しい感じ、心細い気持。これは「わびしい」であって、「わび」と云う言葉とは少し意味が違う様である。「わび」とはそのゎび桑原専渓閑寂の中にある静かな美しさを見つめ様とする心のあり方をさすのであろう。「山里は秋こそ殊にわびしけれ鹿の嗚くねに眼をさましつA」と云う古今の歌は「わびしい」心である。「さび」とは古びて趣のある味ゎい。閑寂の中に年月を重ねた落着のある味わい。閑寂なもち味が芸術的に洗練されたもの。こんな意味の言薬なのだが、わびもさびも同じ様に閑寂の境地をさす言葉であり、それを楽しみ味わおうとする心が、その中にひそんでいる。日本の生活の中にあるこの「わびさび」のこころは、それが和歌、俳句、茶道、花道の中に深く根をおろして、建築、庭園にもその趣味がとり入れられ、いけばなの花を楽しむ心の中にも、「わびさび」の花を活けようとする境地をつくり出されているのである。いけばなは、あらゆる場所に調和する花を活ける。はなばなしい美しさ、明るい感じのいけばな。豪壮な強さと雄大な惑じのいけばな°静かに家庭を飾る花。花の情趣をしみじみとみつめる様な素ぽくないけばな。そして佗しい静けさを楽しむ花。この様に考えてみると、「わび」のいけばなは、挿花の中の―つの部門であって、いけばなをめぐるいろいろの趣味の中の‘―つのもち味と云える。私達がいけばなを考える場合に、そのいけばなの性格を考え、そのすじみちをはつきりつかんで、さて、そのいけばなを活けることが必要である。いけばなの心をよく理解してから花はさみをもつことにしたい。生花は生花のもち味、茶花は茶花のこころ、明るい新鮮な味わいのあるいけばな。みなそれぞれのすじみちを正しく考えて、その中の一ばん味わいのよい調子をつくり出す様にしたいものである。いけばなの中の「わびさび」のもち味は、花の材料の種頬、色調、配合、花器の選び方から、そんな感じが作れて行く。活ける花形にも関係があって、浄かな閑寂な惑じを出すためには、それらしい意識を先ずはじめにもつことが大切である。新鮮なうるおいのある材料で、緑の第の美しさ。花の色や、静かな趣味の花。その静かな境地の中に、あざやかな美しさが必要である。例えば、黄葉が二つ一二つ残って細々とした山木に白つばきの花をあしらつて小さい瓶花としたもの。雪柳の紅葉にさん菊をあしらった花。水仙ニ―――本に岩かゞみの紅莱や、やぶこうじを根/につけた盛花など、或は手附籠に寒ぽたん一輪。さびた褐色の鶴首の陶器に紅つばきの小品花など。いずれも静かに美しい趣味の花であろう。さびと云いわびと云うと、なんとなく褐色に古さびたものに思われ易いが、真実は、そのさびわびの中に美しい新鮮さと清潔な感じがあることが必要である。わびさびの深い味わいの中に、いけばなの技巧の美しさや、嫌味のない意匠的な考え方が必要である。毎月1回発行桑原専慶流No. 26 編集発行京都市中京区六角通烏丸西入しなの柿に小菊をあしらつた瓶花である。黄色に少し緑をまじえた小粒の柿の枝は,直立の姿の中に少し前へ傾き,根じめには渋い赤色の花弁と,黄色く褐色の花芯をもつ小菊をあしらつて,この化は静かに雅趣のある花である。桑原専陵流家元1964年12月発行いけばな

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