テキスト1964
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ラ、「御車返しのさくら」—ミ(報知新聞10月25日)十一月の中旬になると京都御所の御苑にある樹木が紅葉して美しい。カエデ、サクラ、ニシキギ、などの紅と深い朱色が、緑の木立ちをあざやかに色どり、イチョウ、ケアキの黄葉と入りまじつて、静かに美しい景観が目路のとどく限りひろがつて見える。紅葉の美しいのは十一月十五日から二十日頃まで、御苑の烏丸通りに近い西苑の紅葉がことに美しく、今出川馬場にそったケアキの並み木は、このころになると葉が一斉に黄ばんで、松林の中に浮き出る様な黄葉が豊かな色を見せて、御所のさびた築地塀(ついぢべい)と調和して、さすがに日本的で美しい景観である。御所の紅葉はことに美しいと言われているのだが、ひろびろとした御苑は午前、午後にかけて太陽の光を十分にうけて、広場の空気は暖かく、夜間にはいつてぐつと温度が落ち、早朝は特に冷え冷えと京都御所の秋専渓する、この御苑の特殊な気象条件が紅葉の色を美しくすることとなるわけで、まった<還境がよいためであろう。御所にある梅は約四五十種ほどあって、白梅、紅梅、淡紅梅の品種を交えて美しい品種のものが多い。サクラは「右近のたちばな、左近のさくら」で有名な、紫痰殿南階の東方にあるサククルマガェシーなど、ひろく一般に知られている。今出川御門に近い元近衛邸のあとに「しだれざくら」があり、これは美しい糸ざくらである。仙洞御所にはサザンカ、ツバキが多い。特に白ツバキの美しい花が咲く。御苑内の宗像神社の境内に白桜(ハクオウ)と云うツバキがあり、有名である。色は白で小輪だが花びらが変つており、美しい花を秋より三月中旬ごろまで咲きつづける。幕末の頃までは、建礼門の前の馬場に薬草園があったと伝えられており、御苑が今日の様に整備されたのは、大正初年の頃で、それ以前は外苑も相当荒れており、特に寺町に近い馬場は明治博覧会の会場あとが雑然と荒廃されたままになっており、たけを越す夏草の中に建てものの残がい、きたない水たまりなどがあった。私の幼いころ、このあたりに花作りの夫婦が小屋をたてて住んでおり、花畑を栽培して生活していたが、今日から考えて見るとずいぶんのどかな風景であった。子供のころの私達は御所が手頃の遊び場所で、雑草の中の小山や谷のくぽみで、いたどりのすつ。はい茎をかぢりながら戦争ごつこや、蛙つりなどをする子供の国でもあった。晩秋になると木立のいちょうの葉が雨の様に子供達の身体ゃ足もとの道に降り落ちて、一めんに黄色く、私達の領地を色どった。学校から帰ると早々に勉強をすませると、おやじ殿の趣味である、謡と能舞のおけい古に通わせられたものだが、それは9オから訟才ごろまで、寺町通の府立第一女学校の前につづいている御所の松林を、長い袖のきものに袴、白たびと云ういで立ちで、その頃はやりだしたキャラメルと云う飴菓子をかじりながら、とに角、先生の家へ通つたものである。7

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