テキスト1964
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伝承芸術、伝統芸術、古典芸術などと云われるのは、昔から教え伝えられて今日に及んだいろいろの芸術のことであります。外国の絵画彫刻文学演劇の場合にもあり、日本の造形美術、文学、音楽、舞台芸術の各分野にもあることは皆さんもすでに御承知のことと思います。伝統とは昔の系統を伝えることであって、芸術の場合には旧来の形式を尊重し守り、また、よい意味に於ては昔の典型を保存し、更にその系統を盛り育ようとすることでもあります。自由主義の今日の思想から見れば、いわば保守的な役割をもつ芸術てありまして、ともすれば古いと均ー云われ勝な場合も多いと思います。日本の伝統芸術で今日なを盛んに行われているものには、能、狂言、歌舞伎、花道、茶道、音楽の一部があります。私達の花道は伝統的な作品のみでなく、近代的な形式感寛をもつ作品も盛んに作られていることは、すてに御承知の通りです。いけ花は生活に調和することを目的とした芸術であって、時代のうつり変りや、生活還境に応じた室内装飾を受け持っている訳てすから、古典的な生花も新しい装飾主義のいけばなも、何れにも調和するよい作品をつくることに努力している訳であります。ここでは花道の伝統的な作品がどんな考え方で作られているか、またその中に創作的な態度があるか、また、その聾をどの様に扱っているかについて、お話してみようと思います。2 私は子供の頃より謡と舞を習い、最近になって5年余も狂言を習っていますので、花道と同じ様な立場にある伝統芸術について参考になることも多く、花道と能とを比較して考え乍らお話するのも無駄ではないかと思います。さて、伝統とは古い形式、方法をうけつぐことでありますが。これはその系統や古い芸術をそのまま、次から次えと伝えると云う意味てはありません。ある辞典を見ますと「伝統とは古典を尊重しこれを墨守すること」、だと書いてありますが、この墨守と云う意味は頑固に自説を持ちつづけることであります。これは誤り.て、正しい性格をもつ伝統芸術は、古い形式方法を守るだけでなく、常にその中に新鮮な瞬間を擢もうと努力しているものであります。伝統芸術は古いと考える人がありますが、これはその外観を見て真実を知らない人の考え方であって、伝統芸術はおくり伝えられた祖先の芸術を更に発展進歩させようと、常に努力しているものが真の伝統芸術の在り方.てあります。今日の新しい芸術、は絵画、彫刻、音楽、演劇、花道の各分野において前衛的な作品が作られていますが、これは、これまでの方法形式をすっかり離れて、新しい地盤に新しい意図の作品をうち立てようとするものでありまして、これに対して伝統芸術の在り方は古い形式方法を守って、更に光輝を増そうとする努力であり、その中に創作の工夫が常になされている訳てあります。花道は生活と共に時代を歩く芸術であって即ち今日のいけばなでありますが、花道の歴史の血脈の中にある、伝統のいけばなについては、常にふりかえり研究し、これを骨格にして新しい芸術の基幹とせねばならぬことは云うま.てもありません。今日の花道を研究するものは必す伝統花道の技法とくみたてについて、芸術としてのあり方について、`生活に即するいけばなは充分、知る必要がある訳てあります。伝統芸術と云われているものは、どの場合も、それを作り上げている骨格がす.てに定つております。また、その活動する領域も大体に於て定っておる訳です。そしてその領域の中において、更に深く深く芸術を堀り下げ様とする努力と、定った骨格に更に優れた肉附けをしようと努力している訳てあります。伝統のいけばなもこれと同様に、その領域の中において、よい作品を新しい作品を作ることを考える次第であります。例えば、花道の立花や生花においては、その立花的な形式と技法があってこそ立花と云ういけばなであり、生花は生花としての形式と技法があってこそ生花と呼び得るものてあります。ただ注意することは、伝統と云う名に安住して、かびくさい十年一日のいけばなであってはならないことです。能や狂言の伝統的な形式と技法は、それを守り、それを更に磨くことに依ってこそ、伝統芸術の光彩を更に高めることになる訳てす。勿論、その演目や演者の工夫に依って一番の演能や狂言ごとに新しい研究がなされることは云うまでもありません。これてこそ、能や狂言の伝統芸術としての生命を保つこととなる訳であります。ただ一定の領域があると云うことについては、今日の創造芸術とは大変な違いがあると云えませう。3 芸術と①伝統創作桑原専渓狂言(宗論)京都観世能楽堂において浄土宗の僧桑原専渓④

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