テキスト1964
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京都市や大阪市の周辺地帯にある蓮池が、段々埋め立てられて、田畑に変り道路になりつつある。京都では伏見、巨椋(おぐら)方面、大阪では北河内から中河内へかけて、昔からことに蓮池の多いところであった。この方面は大体において低福地帯で、連の裁培に適した土地である。地方では岡山県や、熊本県に多く裁培される様であるが、熊本名産の「からし蓮根」など風味もよく、野趣があって面白い。昨年の夏、滋賀県野洲郡守山町の民家で、その裏庭の池の「近江妙蓮」が、六十八年振りで咲いたことが朝日新聞の記事に出ていた。この妙蓮と云うのは、つ四つにわかれて数千に及ぶ花びらが開花すると云う、まことに珍らしい蓮花で、天然記念物に指定されている。これも昨年8月3日の朝日新聞に「原始蓮」について、次の様な記事があった。「大阪府牧岡市の小さな水たまりに、原始蓮(げんしばす)と云うハスが、いま最後の花を咲かせている。最後というのは、この水たまりが大阪府の道路工事の用地として買上げられ、来年はじめごろまでには埋立てられてしまうからだ。古事記の雄客天皇の章に、引田部2夏題)8ーます一本の茎に蓮の頭が一――赤猪子(ひきたべのあかいこ)と云う老女が「日下江の入江の蓮(はちす)花蓮(はなはちす)」とよんだ歌が記されており、それがいまの同市内だといわれる。もともとこの附近、つまり北、中河内平野は昔からハス池の多いところだが、原始蓮と呼ばれるものは、普通のハスよりひと廻りもふた廻りも小さい。ハスの研究で知られた大賀一郎博士が、戦前、古事記の記事を参考に現地で調べ、「なかなか古いものだ」といったことから、一五00年前に赤猪子がよんだのは、このハスのことだろうとの推測が高まった」この河内方面は湿地帯でありながら、水のよくない地方で、この頃は水道が完備したが、最近まで井戸水を汲み上げ、壺に入れてそのうわ水を炊事に使った土地である。しかし、さすがこの地方の蓮は美しい。いけばな材料としての蓮の枯実も、のびのびとして美しく、新鮮な褐色の茎は、他地方のものに較べて全く優れている。白い花に緑の葉、黄色の花に緑の葉、これは二色である。盛花瓶花の場合には二色というのが、一ばん単純な色彩である。生花の場合には、ばらん一種、エニシダ一種の様に、全く緑一色の材料で美しい感じを作ることが出来る。しかし、私達が常識でいけばなと単色のいけばな考えるものは、殆どが二色以上の花葉の色、多色の花葉の集りであることが多い。黄菊、白菊を交えて活けても一種挿しと云い、花菖浦の花の種類を交えて挿しても一種挿と云う。これは菊とか菖蒲とかの所属名が一種であると云う意味であって、これは白木の鳥居とか、青畳とか云うのと同じ様に日本的な風雅な表現法であろう。日本の伝統芸術の中には`単色と考えられる作品が多い。盆裁、庭園の緑、書道、水墨画の黒`木彫の褐色など代表的なものであるが、庭園の石と砂の色、書道水盛画の黒の濃淡、などそれぞれのテクニはあっても、主色は殆ど一色の美術があり、しかも、多色を用いる以上に豊かな作品を作出している。さて`私達のいけばなをふり返って見る。古典的な生花の中には、行李柳を一種挿に活け、とくさを水盤に一種挿として、それぞれの美しさを作り出す。他の花の色を孫える必要のないほど、完全な作品を作ることが出来る。いけばなは多色の美しい花をとり合せて、外見の麗わしいものが好まれることも、一つのいけばなの方法であるが、一方「単色のいけばな」について考えるのも、必要なことである。これは、生花だけではなく、盛花瓶花の場合も同様な考え方をもってもよい。盛花瓶花は美しい色の花を使うことが普通となっているけれど単色に近い作品も変った感覚があって`中々面白いものである。殊に夏季の花として、日持もよく、さっばりとした惑じがあって好ましい作品も出来る。「単色の盛花瓶花」とはどんなものだろう。これについて考えて見る。単色と云う言葉を少し広義に解釈して、白菊一種の瓶花、白百合一種、紫グラジオラス一種と云う様に考えて`一種挿とするのもよい。また、緑色系統の木もの一の深いものである。盆裁椿の実付ななかまどしだックさんぎらいふいり杯(ゆきやなぎ柊の葉(ク)杜若の実睡蓮葉(盛なるこゆりおもと以上の様に、「緑の葉を活ける」考え方で、大変、面白い味わいの花が作れると思う。白いカラシュームの葉にアスパラカス。ふといにカラシューム。モンステラにさんきらいの実。こんな洋種の材料を配合するのも変った味わいの花が出来るに違いない。少し意匠的になるが、青竹の寸筒に蓮の葉3枚程度。ガラス花瓶に白の大輪咲ダリヤ。黒いガラス瓶にアス。ハラカスの黒色に染めたもの。この様に考えて来ると、また新しい別の夢が生れて来る。紫蘭の実しだ(ク春蘭(瓶花)種の瓶花も趣味(ク)ク)花)(ク)(専渓)前のテキスト(21号)でお話した通り、八月には21号と、この(22号)と二回発行した。この号は夏季特別号と云ったところである。秋になると花展に追われて、休ませて頂く月があるかも知れぬと思うので、夏の間に頑ばって、続けて二回発行した次第。七月十五日から二十五日まで、雑事の間を縫うて原稿百二十枚を、頑張り抜いて書いた。皆さんに読んで頂けるときがなにより楽しみである。年ごとに身辺の多忙が加わって来た私。このテキストをいつまで書ぎ続けることが出来るか解らない。ページの蔀い印刷物だが、その内容には充分注意しているし、駄な原稿を書かない様に、皆さんの華道の勉強になる様にと、それをいつも考えながら書いている。このテキストが多数集って一冊にとじ合された場合、恐らく華道全般にわたる広汎な研究書となるに違いない。毎月のテキストはそれの道棟である。正しく速かに目的に達したいのが、私のひたすらな念願である。昭和三十九年七月すえの日原稿が多すぎたので細字になりました。頑ばつて読んで下さい。8 一行も無専渓編集後記

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