テキスト1964
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Aょここに伝統生花を5作並べて見た。蓮花は二十五年ほど以前の私の作品で、下のエニシダの生花は大正初期の当流の生花である。オモト、スイセン、バランの三作は最近の専渓作品で、流儀の生花としては代表的な作品と云える。ェニシダの生花は、先代家元の在世時代に花展に出品されたもので、恐らく家元の指母のもとに活けられた生花であろうから、そのころの当流の花形をうかがうことが出来ると思う。村井慶香氏と林慶観のお二人は、父の直門の中でも、殊に技術の優れた人であったから、特に先代の推薦に依って写真に残されたものと思う。(専渓)伝統生花印れ(のち変全氏)5作ぷR⑮⑮蓮花えにしだおもと蓮花の生花である。蓮は七月に入って咲き、九月中旬まで咲きつづける。水揚の難しいもので、この蓮花図は高さ6尺程度に活け上げてあるが、早朝、蓮池に入って自分で切りとり、直ちにその場所において、水揚をして活ける。その頃(昭和10年前後)は生花の盛んなころで、この蓮の生花も各流が競い合って、水揚の研究会をひらいたものであった。現在では殆ど見ることの出来ない生花となったが、こんな生花水揚の流行した―つの時代であった。この作品は、そのころの私の作品を写生して、木版画を作り保存した中の一っである。↑おもとの生花は十二月某日に活けたものである。葉を十一枚。実一っ用いて一株に作ってある。おもとは平らに活けて、低く自然の姿にある形を写して葉組みを作る。中心の若葉、外側の古葉をよく選んで、出生の姿を表現することが習い事となっているっ葉組みもの生花の中でも、代表的な形式のもので、気品豊かな感じをもつ生花である。おもとの活け方は、種々な活け方が定っておるが、要はおもとの自然の姿を写すことにあるのであって、生花の型と自然生育の状態との配合に依って、伝統の活け方が定っていると云える。そして、作者の考えを織り込むことの出来る悠かさがある。→このエニシダの生花は、大正初年の花展に出品されたものであろう。花器の形を見ても、その他の飾りつけを見ても、今日のいけばなから見て、いかにも超然とした感じをうける。花型がよければ装飾効果はあまり気にならないところが、全く時代的である。うすばた花器の全盛の頃で、写真の洋風会場に飾ったところは花道の鹿鳴館時代と云う感じをうける。さて、花型を見ると、実に優れた技術で悠然と活けられてあり、気品豊かな生化である。殊に村井氏の正しい流儀の化型と林氏のやや背を低て、流儀の花型として尊い示唆をうくした}ul流しの花迎は、今日においける次第である。ハN紐抽吃

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