テキスト1964
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京都会館会議場で開催した桑原専渓の「いけばな文化講演会」に出品の立化様式の造型作品である。荘麗な会議場の墜面に十五作の代表的なに、自然木を利用して作った「トー立花の作品が展示されたが、その中テム」の様な形の作品である。花器の横巾(正面上端)は約九0センチほどあるから、それから比例して随分大きい作品である。2の作品について立花風なスタイルを基本として近代的な会館装飾に調和することを目的としたもので、直載的な中央の太い幹と、その右左につけられた、枝幹に依って立花のスタイルを作っている。立花を新しい構想に依って作り上げた。現代惑撹の作品と云うことが出来るだろう。立花はここまで進むことが出来ると云う―つの野心作である。この作品の中には、立花の真、副、胴、詰、控、見越などの枝が作ってある。数年以前に東京の白木屋において「いけばな日本展」特に出品を頼まれたので、参加することにした。東京の花展へ出品することは、これまで度々あったが、主として新しい造型的な作品を出したので、今度は立花の新しい試みをしてみようと、京都で花器も作り、材料も山で採集して、松の葉は芦屋辺で集めて東京へ送った。「新しい様式の立花風作品」と構想を定めて、写真のようなコンクリートの花器を作り、軽石を花体の中へ入れ込むと云う構想で、とにかく、これまでにない立花の新境地を開拓して見ょうと、野心満々たるものがあった。技術的には充分の自信があるのだから、問題は新しい惑党が出るかどうかにかかっている。これには全体ーの作品についてキこー。のスタイルに重点があるので、随分、考えたが、とにかく一応の成案を得て、生込みの前日に東京につき会場に近いホテルに入った。その夕刻、時間があったので散歩が開催された。労々、神田方面へ行き最近久しく行かなかった東京大学の構内へ入って行った。電車通から赤門をくぐって広い構内を行くと、突然、正面に素睛らしい建物が見えて来た。左右に並木のある二00メーター程の道の突きあたりに、中央に塔を立てて、左右均斉の建築だったが、渋い落着ぎのある色調と荘重な感覚は、うす明りのタベの時間の中に私の心を深くとらえたものであった。私は、はっと暗示をうけた様に、その会堂のすでに黒いかたまりを暫く見つめていたが、そのとき、明日の立花はこの形で行こうと心にぎめこの形は立花としての、定型から全然離れた形であったが、非常に面白いものであった。その夜、更に充分の構想を練って、翌日生込みの臼木屋会場で、午前10時より午後10時まで、ねばりにねばってこの作品を創りあげた。材料は申分のない美しい松の葉色、幹の変化のある枝、それに最初からの計算であったが、木の太いものを使わなかったので、全体が軽やかに仕上って来た。軽石の渋い灰色と花器の褐色の中の群色調がよく調和する。ただ、作り上げて行く途中に、反省したことは、なんとなく山の自然の最色にある様な、写実的な感じであった。これは作って行く過程のうちに徐々に姿をあらわして来た一面であったが、花器の形の創作的なもち味が、それを救って呉れた様に思えた。とに角、この作品は会場で大変評判がよく、主催者側からも特別の感謝を寄せられたが、私の新しい試みとして、恐らく私の数少い佳作として想い出の作品となるであろう。3 2 1の作品は横巾,2メーター程度のひろがりをもつ2の作品は高さ5メーター新しい構想に依る(桑原専緩近作)立花様式の作品・2点

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