テキスト1964
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(1(2然趣味の花が喜ばれる。りとある。草庵(四帖半)の茶室には簡素なところが、作句とか茶道には、この季節と云うことが、重要な約束ごととなっており、例えば、茶遵ては季節に依って形式が変り、冬の炉、夏の風炉、そのうつり変りの季節はつり釜と云う様に、扱い方に変化が従って、炉に活ける季節の花を炉花器を用いる。かけ軸の前へ小品の花(ロバナ)と云い、風炉に活ける置き花生を置き、素ぼくな花を入れ花を(フロバナ)と云って、それにる。或は柱がけにかけ花生をかけ、ふさわしい、その感じに調和する茶かけ花を入れる。また、茶事の場合花の選び方がある。炉花は木の枝‘にはかけ軸をとり、床の間の壁の中木の花が中心となり、風炉花は草花央にある中釘に花器をかけ、かけ花が主に挿さされる様である。ろばな(向うがけと云う)を活ける。草庵は立冬から始まり桜の頃まで、主との席にはその趣味に詞和する静かなして冬の茶花のことであり、三月の感じの花器を用いるのがよい。末頃から四月下旬頃まてはつり釜の竹器の一重切筒(四季ともに)籍季節であって、木の花の中に春の草!の花器(ふろになってから)は幽雅花を交えて茶花とする。な感じて多く用いられる。五月立夏の頃を境として、風炉のおき花の陶器(っちやき)と磁器季節に入り、草花を主として茶花を(いしやき)は四季ともに、多く用活けるが、その始め頃は季節の木のいられるが、その中に、染附の花花(例えば、大山蓮や白雲木、つく器、青磁の花器、銅器などは格の重ばねの如きもの)も使う。むくげはいものとなっており、かけ軸との釣六月中旬を過ぎると咲き出すが、風合いを考えて用いることとなってい炉の花として特に賞美される。る。その他、唐もの籠、銘物の籠な夏の茶花としては、清爽な感じのど専門的に重用されるものもあり、すすき、かるかや、百合の類、ききまた、夏季にはグラス器の重厚な味草、がんぴ、がく、の様に静かな自る。しかし、伝統的な茶適のしきたよう、さんぱく草、てっせん、白糸のものも好んて用いられる様であ夏が終って九月より十月へかけて名残(なごり)の茶と云って、夏の自由裁量に依って花の残花を秋草とまじえて、寵などやかな考えをもって、行われているに種類多く、広間には比較的賑かに様であり、また、それが望ましいと交挿することが例となっている。なを、この季節には、普通の茶花として一種、一一種の花を入れ、又は、小間の茶室には簡素な花を入れる。花器))俗臭、今日の茶道の在り方から考えて、最近は余程、自由に、その人の、花器などはひろ思っ。花器は紫交趾鶴首花入骨てある。花は紫花のむくげ(祇園守り)を一本挿してある。さびた紫色に光沢のある陶器に首もとに金線の入った器てある。大輪の花と緑の葉が美しい。祇園守りには紫花と白花がある。この花は私の庭に六月十六日、初花が咲いた。さし絵真塗(しんぬり)器ーーの手桶に活けた花。これは七月に活けて写生をして置いたが、花は(鴨のはし)ーカモノハジーと(がんび)の二種。カモノハジはカルカヤによく似て、細い茎の頭にある穂は二つに割れて、鴨の口ばしの様に見えるのて、カモノハジと呼ばれる。根メに朱色の花のガソビをつけた、夏の茶花である。茶花は静かな趣味の花、季節の花、味わいの深い花、若し出来ることなれば珍らしい趣味の花て、来客を害ばせる花。また、美しい葉色、美しい花の色、清潔な感じの花。温和な形と優雅な味わいの花。花。そんな花が好まれる。ここに掲げた二つの茶花は、そんな心をもつ花てあろう。花器もこの様な、温雅な趣味のものが好ましい。この鴨首花入は京都東山まくず蔵六の陶器で、花器もただ、花との調和だけでなく、花器の鑑賞と云うことも同時に考える。写真いろいろな職業に従事する人達を考えて見ると、その仕事にしみついた人間の香りを感じるもの.てある。医師。智的て柔かくてよい感じの人が多い。職業化した顔と態度.てある。銀行家。いんぎんで人ざわりがよいが用意周到の人が多い。中等学校の先生と幼稚園の先生。まるで態ー|まっ黒の漆度が違う。校長先生は更に貢任者らしい態度がある。骨董屋さんは丁寧だがかけ引きが多いし、植木屋は変屈の一言居士が多い。映画関係の人はベレーがお好きだし、洋画の画学生は強いて崩れた格好をする。鶴屋亀屋の菓子屋さんは嫌に不愛想な人が多い。さて、お花の先生方は必要以上に芸術家の顔をしたがり、その中でも前衛派の人達は、深刻な顔をして、解った様な解らぬ作品を作る。そして古典伝統を真面目に見ようとしない人を多い。お茶の先生方は風雅の中にありながら、それらしからぬ人小量で引き立つも見うけられる。さて、それぞれ専門の仕事にたづさわり、毎日その中に没頭すると、自然その臭味に染まるのは当然のことである。その職業臭に染まってこそ、その仕事が水準に達しているとも云えよう。職業のにおいの中には、よい香りと嫌な香りがある。他の人達から見て、如何にもその道の達人と感じられる、信頼の出来る感じ。これと反対にその織業の一ばん鎌な感じを発散する人々。これは自ら反省して、注意したいところてある。その道の高い立場にありながら、その職業臭を感ぜしめない様な人は達人てある。自ら、その道の先生先輩てあることを振り廻す様な人は、その資格のない人.て、世の中にはこんな人達が多い。しっかり自己を持ちながら、常に反省し努力する人、こんな人には職業臭は感じられないものである。常に謙虚を以って人に接することが大切てある。ことに女性の場合には一層深く惑じさせられる。茶道は人聞形成のために大切な教育がある。茶の技法を知ることは、その目的に行くための手疑であろう。いけばなは美しい趣味を養っための花てある。花を活けることが下手であっても、これに依って美しい趣味を養い、心にうるおいをもつことが出来るなれば、その目的を達したこととなる。勿論、習うと云うことはその方法を知り、技法を覚え上達することが目的てあるが、茶を陀て花を活けて、楽しみながら、その中にある優しい香りをいつしか身につけて、やがてはそれが、美しい体臭になる様にして欲しいものである。茶をたて花を活けるときの、その人の顔は実に美しい。俗臭を解脱した心の美しさでもある。@

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