テキスト1964
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—ー編集発行京都市中京区六角通烏丸西入六月より七月へかけては百合の多い季節てある。百合科属の花は随分多いが、その中でも六七月は野生の百合がいろいろ咲く。ササユリ、タメトモユリ、オニュリ、ウバユリなど、私達の見なれたものが多い。ある年の夏、私はタメトモユリの野生地を見ようと思って、吉野下市の方面を歩いたことがあった。洞川から大峯山への道は、以前に歩いた適なので、百合の花の咲く頃を見は専湊、と合からって出かけたのであった。タメトモユリは、この地方.ては吉野百合と云い、箱根で咲くタメトモユリは箱根百合と云うそうである。京都から約二時間、下市口からバスに乗り、狭い下市の街をバスは家の軒をすれすれに走って、やがて山邁にかかり、低い峠を越すと約一時間て大杉、長谷の村に着く。左右に山を見上げる狭い谷間に、細い川とバス適路と、片側に村を形づくっている家の軒、畑と家とがまじり合って、道の土ほこりに家の屋根も畑の野菜もまっ白、と云う暑くるしい風景てある。この辺りは右も左も見渡す限りの谷の背がせばまって、急な傾斜の山肌に段々畑が山頂までつづいている。さて.この辺から百合の花が点々と雑草に交って咲いているのだが、これから奥へ行って蛇ケ谷。右の道をとると洞川へ行き大峯登山口である。左へとって一里、川戸の辺が百合の多いところである。ごの季節には、タメトモユリ、オニュリ、ウバユリが一斉に咲いて実に美しい。ウバユリは京都の花屋て堅いつぼみの青白い花を見るのだが、ここでは雑草の中で白く美しい大輪の花を咲かせ全く美しい。タメトモユリ、オニュリは私の背丈を越して高くそびえ立つものも多く、太いものになると、タメトモユリの二十輪ほど花をつけたものが、そびえ立って実に雄大な感じがする。道ぱたの百合は、土ほこりでまっ白だが、少し横道を分け人って静かな谷あいに入って見ると、それこそ新鮮な花が見渡す限り咲きつづいて見事である。百合の花と緑の草の葉、木の葉の中に河原ナデジコの花が点々と咲いている。京都地方で見る野生のナデジコとは種類も変っており、大輪の色の美しいナデジコが咲く。独り旅の気楽さに、川戸までの二里の道をぶらぶらと歩く。さすがに本場だけあって蛇が多い。ジマへビ、アオダイジョウ、が時々姿を見せ、マムジは草むらの中.て首ゎ立てて私をにらみつける。山歩きは楽しいものだが、時々ごんな場面に出<わすもの.てある。京都北山の花背峠から山嶺の細い道を伝って歩くと、一時間ほどして田原と云う谷間の村につく。その問遣は殆ど人通りの少い山路なのだが、その頃、四月の月末から五月のはじめにかけて、年をかえて三度そこを通ったことがあった。花背の分れ進からニキロほど歩いて行くと、細い山路に少し窪地があって、そごにはわっかばかりの水溜りが出来る。その場所が山の蛙の産卵地となるらしく、同じ遣を同じ頃に私が通ったのだが、大人の靴の大きさ程の蛙か、百匹からそれ以上ほど適のまん中に伍ろがって.水溜りに産卵をしているのに出くわす。谷間の道なのでどうしても私は通りねばならない訳て、思い切ってその蛙の群の中ヘ踏み込ん.て行くと、黄色い背と白紫の腹の蛙どもは一斉に足を張り目をむいて対敵行動を起す。実にすごい状景となる。私はそれを蹴飛ばして通り抜けるのだが、あまりよい気持がしない。しかし、青葉の中に何か花の色を見つけたとき何の花かしら考える楽しさは、私にだけ与えられた幸福だと思っのである。「花を訪ねて山廻り」と云う山姥の一節にある様な、いつ出独り歩きの私の山路行は、数年にして終ったが、山はいつも私に呼びかけ、山花は必ず私に新しい知識を与えて呉れたものである。① 姥百毎月1回発行桑原専慶流No. 20 盛花,キキヨウ,ヵ‘ノゾウの葉,アジサイ桑原専疫流家元1964年7月獲行いけばな

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