テキスト1964
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随分、以前のことでした。今の京都新聞が京都日日新聞.てあった頃。時々たのまれて、いけばな講習会をやりました。その中に「臨地講習会」と云うタイトル.て、或る一定の場所へ行って自然の花の材料を切り、すぐいけばなを講習すると云う形式の催しを、五回ほど連続してひらいたことがありました。巨椋池(おぐらいけ)へ行って、蓮花と水草の花を活けたり、比叡山に登って山草を採集して、その場所でいけばなを作ると云った方法なの.てすが、そのうちに、京都植物園を頼ん.て芝生を会場に、講習会をやろうぢやないかと云うことになりました。植物園なら材料はふんだんにあるだろうと云う、実に虫のよい考え方なのですが、新聞社の交渉.て、これが案外すらすらと定って、いよいよ会場は京都植物園と云うこととなりました。園内の木や草花を切って材料に使うのですから、大分、横着な考え方と思いながら、いよいよ社告を出して当日になって見ると、参加会員が約百名集まって、花鋏をもって圏内の木や花を、予想以上に自由に切らして貰って、とにかく、この催しは成功した訳てず。講師としての私が話したことを、思い出して書いて見ようと思います。少し考え方の変っている点もあるので参考になると思うのです。花を活ける人は自然を常に見つめるごと.てす花を活けようとするとき、すぐ考えるのは、どんな格好に作ればよいかと考えます。また、一本の木や草を手に持って、どんな形に花器におさめればよいかと考えるに違いありません。このとき、その材料が自然の山や庭や、農園.てどんな姿て出来ておったかを考えるのがよいと思います。どんな草木でも、太腸の光に向けて枝葉花を出しています。柳、しだれざくら、やまぶき、こてまり、朝顔、てっせんの様に下に垂れ下る材料ても、花葉は必ず上方に、太陽に向ってのびているもの.てす。木の茂みや、くさむらの群りの一枝一茎を見ても必ず光を求めて、明るい方向ヘ花葉枝をのばしているの.てす。一牧の葉の裏表を見ても、ひおもて、ひうら、があります。私達のいけばなは、この自然の草木の個性をそのまま花器におさめればよい訳て、自然の個性に逆っては活きたお花は作れません。私達は毎日、どこかで植物を見ています。その時に、その草や木の自然の姿をよく観察することです。遠くに見える森の樹や、町の中で塀から見える庭木の形をそのまま花器に入れる様に考えたならば、瓶花の形はすぐ応用して作れると思います。やまぶきはやまぶきらしく活け、ずいれんは水面に浮く姿そのままを花器におさめればよい訳です。チューリップは土から出たあの姿が最も理想的な形て、かきつばたの水から立ち上がる姿、柳の枝を通して見える庭園の花、みなそのままで活け花の形になります。ただ、それを深く観察すること.てす。水盤にかきつばたを活けるとき、自然に出来ている様に、その水から立ち上る株もとを見つめることです。自然にある様に木や草を花器に安定することが出来たならば、先づ、いけばなの第一歩を完全に視んだことになります。初めて活ける材料を、どうして活ければよいのかと迷っときは、その花がどうして出来て居ったかを考えることです。いけばなを習うとき、いろいろな約束や型がありますが、それを作るときに、先づ必要なのは材料の自然の姿を活かしつつ、その形に入ることとなります。ここに広い農園があります。遠くの黒ずんだ群青の森。広い芝生。この見渡す限りの緑の中に、グラジオラスや、ダリアの鮮麗な花壇がある。いけばなて云えば、これは根メの花の色てあります。緑の中に美しいアクセントをつける花。これが盛花の配色と云えるものです。いけばなは組み合せ、配合について深い注意を払います。形と色の配合を常に考えるのですが、自然の草木を花器に安定して更に、材料を重ね色を重ねるときに、いけば独特の技法が始まるのです。自然をよく観察して、それから進んで行くいけばなの基礎とせねばなりません。今日のいけばなは自然を写実するだけ.てはなく、自然の草木の形と色を、自由に用いこなす程度まで、高く広く研究が進んでいますが、その根底となるものは、なんとしても自然を正しく観察するごと.てあります。(専渓)花の記録

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