テキスト1964
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江戸時代のーQ最近、私達の生活の中へ新しいものが、いろいろな種類をまじえて、引っきりなしに飛び込んて来る。服飾、美術、音楽、舞踊、その他さまざま外国に根をもつものが実に多い。これらを見ききしていて思っのだが、これらの多くの芸術の中には、いわゆる直輸入的な感じに考えられるものが多い。例えば声楽にしても、バレーにしても、欧米人の声量と発音、体質とが欧米の音楽に調和して作られたものであって、そのまま日本人にあてはめては適当でない場合もあろうし、日本人の体質に融け込めない点も多いに違いない。殊に日本のオペラやバレーを見ておると、大部分の場合、出演者の体格とその動きなど、本場のものに及ばない様な気がするし、どだい、外国の舞台芸術を、そのまま借用したり、翻案したりするごと自体、無理がある様に思える。丁度、これを反対に考えて、日本の能、狂言を外人がそのままの衣裳を着てやろうとする様なもので、これも体質的に考えて、よいものが出来ないのと同じことだと思っ。その他、これに類したものが実に多い。広く世界的にものをとり入れ伝統芸術と創作ヽ,3 様とする態度は悪いこと.てはない。ただ、日本にだけしかない日本の芸術を大切に守りねばならないし、また、日本の芸術をよく理解して、それを更によくするために、努力せねばならないと思っの.てある。外国の造形美術について高い見識をもっている人達ても「日本の立花」については殆ど知らない、と云う人が多い。勿論、知識にも専門的な部門に分れる。復雑な今日の時代てあるから、これは致し方がないとしても、せめては花道を志す人達似、花遵の伝統作品について、しっかりとした理解をもたねばならないと思うのである。花の新しい芸術を作ろうと志す人は、先づ自分の足もとをしっかり見て、それから出発しないと、真実の作品は生れるものでなさて、立花(りっか)は始ってから凡そ五百年。生花(せいか)は始ってから凡そ二百年であるが、その起り始めた時代には、どんな考え方をもっておったかー・ーをふり返ってみよう。立花は仏前の供え花から形が始まり、花瓶に七つの枝を左右前後に出して、宗教的な飾り花として出発したが、これが床の間の装飾に用いる様になり、初めていけばなの形式をととのえることとなった。これは室町時代後期のことであるが、実際に花の芸術として完全な姿と形式を整備したのは、江戸初期に入ってからである。元禄時代(約三00年前)になると、芸術としての内容を立派に供えて、その作ると云う意識の中には、花形の約束の上に、更に一瓶_瓶の作品の中に、作者の自由な考え方を織り交えて、いわゆる創作的な作品を多く作っていることが、残された立花絵図や解説書に依って知ることが出来る。考えて見れば、今日.てこそ立花は花遣の古典.てあるが、江戸初期においては、その時代の新しい花の芸術として澄剌とした意識にもえておったに違いない。その時代に定めた花の形式が、新しい約束.てあったに違いない。桑原の花道古書をひらいて見ると、一、第一段階においては桑原専慶の定型を示しており、この基本花型を練習させることを奨励している。二、第二段階において、約三十ほどの変化のある花型を定め、復雑な枝の配置や、花草の組み合せについて、練成することを教示している。三、第三段階においては、作者自身の創作をすすめている。第一、第二の期間を越えて、研究した技法を、この段階では自然の草木の形や、個性を見つめて、それを作者の自由意思に依って、新しい花型を作ることに主力をおいている。自由創作の段階.てある。以上は、当流の古書や立花図版に依って、知ることが出来るのだが、ここで面白いと思っのは、その時代の自由創作と云うものがどの程度のもの.てあるかと云うことである今日においては、立花は伝統芸術であるし、今日のいけばなの基礎となっているものであるが、その元録の時代には、今日の昭和の新しいいけばなと同様、浮世絵と共にその頃の庶民生活の一種の流行.てもあった訳だから、それを理解して考えて見る必要があろうと思つのである。江戸末期になって始まった生花は、立花の復雑な構成、技法を、もっと平易な調子に作るいけばな|—と云う大衆の好みと、庶民の生活の望む、もっと軽やかな、手軽に作られることを目標に始められたのが、ごの生花てあろう。江戸後期になると商家町人の潜在力も大きくなり、武家生活も追々色あせて、歌舞伎、文楽などの流行と考え併せても、いけばながいよいよ大衆的となり、作品も軽やかな自然風な生花にうつり変ったことも理解される。立花と云い、生花と云い、その時代の新しいいけばなであって、時代の生活に調和して生れ、発展したもの.てあって、それぞれその成り立ちから、新しい創作工夫のもとに出発したものであって、全く芸術的に立派な内容を供えておるものと云える。さて、その立花や生花が、この昭和の時代に伝って来て、いわゆる伝統芸術と呼ばれることとなった訳てあるが、今日の立花や生花の中には今日の時代の生活意識に調和する、胄がどこにあるのか、また、その花適の伝統芸術が今日の芸術として生活し得るものかについて、考えて見ようと思っ。文楽は尊敬すべき日本の伝統芙術だと云われる。立花は日本の花道の基礎てあり、花の芸術として世界に比類のない立派なものと云われている。それが今日の時代において、殆ど一方に押しやられて、衰滅の_歩をたどっている。それは今日の状態であってその芸術の内容、価値とは別箇の問題てある。ただ、いけばなの場合は、生活を飾るいけばな、生活に直結する趣味嗜好にすぐつながる性質のものであるだけに、花の活け方が時代に依ってうつり変るのも当然であって、いけばなは今日の生活につながる、創意工夫が尊ばれるのが当然である。また、いけばなの材料が時代に依って変って来ている—ー花と今日の花。ごれはたしかに変化している.てあろう。時代に依っていけばなの形式が変ることについて、これも―つの役割をしていることと⑤ 思っ。(専渓)、。し

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