テキスト1964
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江戸中期より始まった生花(せいか)は、二00年を経過して今日に伝っている。その始った時代には立花(りっか)の復雑さ、重厚な感じの技法をあらためて、その頃としては極めて自然風に作り変えたいけばなを発明したものであった。草木花葉を一っの形の中.て、美しいバランスを作り、枝を揃え、葉を組み合せ、花を配列して、特殊な生花スタイルを作り上げたことは、花の芸術として、世界的にも類を見ない創造的な考案であったと云える。桑原専渓江戸末期から明治時代へかけて、ごの生花が盛んに流行したが、技巧への興味は、やがては時のたつにつれて、型を作ること、方法を知ることのみに終始することとなり、いわゆる、生花上手の人は盛んに増す様になったが、立花から生花和考案された初期時代の創作的な熱情は殆ど失われることとなった。平凡な茶遺のもの知りと同じ様に、その方法を知ることと、上手達者に作ることが生花の本当だと思い込まれる様になって来ると、これは当然、類廃の道へ進むこととなる。瓶花盛花が現代花とも云われて、今日のいけばなとして発展しているのは何故てあろうか。ごれは、今日の社界思想に調和しているためであって、作る人の考案を自由に織り込むことが出来る、近代的な感覚が作品の中に流れている、こんな点が盛花刑花の発展の基盤となっているのである。生花の技法は花の芸術として、独立した要素を持っているものであって、内容は深く豊かなものである。その作品の中に、もっと自由な考え方で作ることが出来たなれば、古典の形式と約束から解放することが出来たなれば、新しい時代に詞和し得るいけばなとなるに違いない。盛花や瓶花を作る様な自由さと、作る人の創作を認めることとすれば、もっと興味の深いいけばなとなる.てあろう。新しく作る生花に、外面の美しさと、形と、技巧と、自由な考案を認めることすれば、今日のいけばなとして価値が生れるに違いない。伝統生花は伝統手法とその考え方の最も高い在り方を尊重して、その真実のよさを守るべきであろう。その一方に、新しい考案に依る、創作生花の研究にも力をつくすべきだと考えている。私は、桑原専慶流の新しい生花を創作生花(そうさくせいか)と云う名のもとに、今後、皆さんの研究を奨励し、私もまた、このテキスト誌上に作品解説を発表して、新しい道を歩きたいと思っ゜特に注意したいごとは、創作生花は粗雑な一夜漬の作品.てあってはならないし、しっかりとした技術の練磨の上に成り立つものであることを知ってもらいたい。しかも出来上った作品は新しい缶罷アと、取材の自由、高い品格、古典技法の尊重、そんな基盤の上に出来上る作品であることが必要.てあるつ。特に注意したいことは、古典生花の考えられた時代の植物材料と、今曰、私達の見る材料とは大変な変り方をしている。日本固有の花材.て挿法て組み立てられた生花の方法が、洋種材料の多い今曰の時代に、そのまま通用する筈はないし、自然、新しい挿法を考えねばならぬ段階にも立ち至っている。また花器のうつり変りを考えて見ても、室内装飾の用途を考えて見ても、床の間を対照として組み立てられた生花の方法が、生活に大きい変化をもたらしている今日、そのままであってよい筈がない。こんな諸点を考えて、新しい生花の再出発をここに提唱する次第.てある。伝統生花と創作生花① 毎月1回発行編集発行京都市中京区六角通烏丸西入JAPANESE FLOWER ARRA NGEMENT NOTE BOOK (巳本のいけ花手帳)て・紹介された桑原専慶流生花アメリカで紹介された流儀の生花桑原専渓先生御夫妻のあたたかいおもてなしと御理解は,ごの書物にとても大切な真献をして下さいました。著者パトリジアロー(日本京都,桑原専慶流家元による葉閾の古典的ないけ方,さし絵は同氏が私のために描いて下さったものである。)桑原専慶流家元1964年6月獲行桑原専慶流No.19 いけばな

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