テキスト1964
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いけばなは室内に飾ることが普通である。しかし、装飾と云う面からひろく自由に考えて見ると、決して室内の花だけにとどまることはない.てあろう。庭圏の花壇、街頭や公園のフラワーベースはつまり屋外の花の装飾である。ただ、根のついた植物の花てあって、これをいけばなて作ると云うごとになると、考え方が大分変って来る。いけばなは切り花であって、その日持ちと云う点から考えて見ると、風があたり陽光をうける屋外のいけばなは、晋通、常識として不可能と一般的に考えられている。しかし、いけばな装飾⑥庭のいけばな若しそれが美しい装飾.てあり、がなりの長時間、もちのよい花てあるなれば、これもいけばなの一方法として作られてよいものであろう。そんな意味て、ここにはその系統の作品を作ってお目にかけることとする。その前に実際にあった例を少し挙げて御参考にしよう。大分以前のことであったが、私、丁度ごの頃の季節だったと思うが、京都の北山大原の寂光院を訪れたことがあった。皆さん御承知の通り、寂光院は源平時代の史蹟、有名な大原御幸の、その庵寺なのだが、青葉にまじるおそ桜や、池汀に咲く初花の山吹の頃て椿の葉の緑や、楓の若芽など美しい中に、裏庭に面した縁側に出て見ると、くつぬぎ石の上に低く乎りな手桶を置き、それへ残花の椿の花、かきつばた二本ほど、山吹を少し折り添えて、いけばなてもなく、なんとなく残花をあつめて挿した調子の、いわゆる花溜(はなだめ)の花が置いてあった。花道の古書の中に「花溜の花」と云うのがある。古い時代のいけばなは立花が殆どで、立花と云うのは一瓶作るだけでも花の種類を十種も二十種も使う。自然、その残り花もいろいろの花があることになるから、それを花溜の手桶に入れて、残花とは云い乍ら庭の装飾とするーーこれは―つの意匠.て風雅な好みなのだが、そんな自然に行われた形が、大変風流てあり、美しい意匠.てもあったの.て、後の人達が「花溜の花」をことさら意匠的に装飾として作ったものである。以上の話は、いわば花道の故実なのだが、今、私がこのページで写真にした屋外のいけばな4作は、この「花溜の花」を応用して作った作品と云えよう。花溜の花は残花を惜しんで利用した実用的な花.て、初めから意匠和目的としたものではない。今、ここに装飾のためにわざわざ材料をとり合せて、花溜の花を作るとしても、その心は、あくまで残花の心と、わざと作ったいけばなでなく、なんとなくつきさされてある花.てあることが大切な考え方てある。丁度、茶花の様な自然な挿し方がよい。2ページの作品のうち‘\3の花がその心を通わせて作ったものだが、その他の作品は庭のいけばなとして、別に意匠を考えて作ったものてこんな場所にもいけばなは使えると云った例題てある。洋風建築や庭園の屋外装飾として、切り花の利用法もいろいろ考えられるごとだろう。殊に花道のオブゼエがこんな考えのもとに、屋外装飾として花のある風景を作ることが出来たなれば、その目的と用途をはたしていると思っ。特に立派な家だから、立派な庭だから装飾するの.てはなくて、「花溜の花」の心を考えて、手水鉢へ菊_二輪、つばきの小枝を首短かく挿してあると云った、さりげない意匠ごそ、訪れた人達に深い印象をあたえるものと思っの.てある。お稽古の残花などバケツにつっ込んで置かず、手近から方法て風雅な心を加えて、再び活かそうとする、その心である。全く生活の中に風雅を作る心でもある。~ .' ① 毎月1回発行編集発行京都市中京区六角通烏丸西入1. 庭の塀苔わに花器を置いて花桑原素子作(朝日新聞家庭のページより)お花を屋外へ出しましよう。いけばなが室内装飾だけでなく,明るい光の中でその場所に調和する花器を使って,先づお玄関からお客様にほほえみを一一を飾る桑原専慶流家元1964年5月獲行El 桑原専慶流No.18 いけばな

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