テキスト1964
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ここで日本画のことを考えて見ましよう。日本の絵画も歴史とともにその時代その院代の生活と思想を背景にして、それぞれ特異の画風を作り上げて来ましふ任宗教を背景とす伝統芸術と創作`_'2,‘' 桑原専渓る絵画、貴族の生活に結ん.て作られた絵画、社寺の絵巻風俗画、江戸初期に至って宗達光琳の装飾的画風の完成、涅世絵の民衆生活の描写など、す。何れも宗教、権力、思想、生活の変化変遷に従って、それに調和する画風をつくり出し、これを後世に残したの.てあります。日本画の伝統はこの院代から今日に至っておるのでありますが、鎌倉室町の時代においても桃山江戸時代においても、必すその作品の中に生活思想を反映する画風を作り出しております。土佐絵ーー三月のお節句に飾る花は、桃になたね、つばきと昔から型の如く定っています。少し現代のセンスを盛って活けたのがごの盛花です。床の間にも洋間の棚の上に飾っても、中々可愛いい装飾になります。女児の幸福を祈る雛祭は、日本の伝統の美しい風習なのですが、必すしも雛壇に立派な雛人形を飾る必要はなく、床の間に雛の絵を飾るだけ.て充分だと思います。それよりも愛らしい女児に幸福が満ち満ちます様にと、祈る心こそ、えましよう。お花は桃になたねを活けるのもよく、またこの写真の様に、新しい感じの花を飾って、意義ある日を祝うのも好ましいと思います。凡1の写真は籍に活けた盛花てすが、花器は緑色の塗料で仕上げた籠に金色のはりがねて加工されています。花はスイト。ヒー(ピソク)にミの時代と淫世絵の時代とを考えて見ると、その絵画を通じて、その時世の変遷を深く感じられるのでありま江戸末期に至って狩野派の流を伝えて円山応挙が花井、動物、山水なし、また一方、松村呉春を流祖としどを中心として写実の絵画を創造て四条流が新しい画法を創始したの.てあります。この様に日本画は全く日本の伝統芸術てありますが、今日の日本画の世界を見渡して、それが伝統芸術のリオクラタス小量を使って中筒に軽<挿しました。装飾にあしらった人形は朱とコバルトの服をつけたオラソダ人形です。花と人形の大きさ、色調に注意して作りました。真実の雛祭と云香りを少しも感じないのは、どんな理由があるのでしようか、これを考えて見たいと思います。日本画の歴史を見、残存する作品を見て考えると、その時代その作家に依って独自の画風と描法が考案されていることが理解されます。これは、私達の花道も同じことデありまして、私達の桑原専慶流の流祖、桑原専慶翁が江戸初期にその頃の花道にあきたらす、自分の構想に依って新しい立花を創造したのと同凡2は赤色のカーネージョソに淡2 2 意はりがねで作った④ 紫色のスイトピーニ種の配合です。同じ花器を使ってありますが、人形を後方へ置いて、花と人形が重なって見えるところに意匠があり、また色彩効果を考案されてあると思います。(5ペーヂの写真3.4)3 いよいよ春の序曲てす。衣更えをする朝、なんとなくさっばりとしたお花が欲しくて、こんないけばなを作りました。すっきりとした意匠と新鮮な感覚をもつお花、そしてあまり費用をかけないでと、都合のいい匠花器人形を飾つfこ意匠花新しいセ‘ノスで作ったお雛飾のいけばなNo. 1 C京都新聞家庭ページ一ー専渓)No. 2 (朝日新聞家庭ページー一素子)

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