テキスト1964
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1964年2月獲行桑原専慶流このごろは一年中を通じていつでも四季の花が見られる。菊、テッポウ百合、カーネージョン、バラなどは一年中咲いているし、いつが真実の季節かととまどう程、自由に見られる様になった。戦後、園芸技術が発達して、温室栽培、冷地栽培が盛んになるにつれて、五月の花は十二月に咲き、十月の花は八月に咲くと云う様になり、そこへその本当の季節の花が入り交って、それこそ百花一時に来る有様となって来た。更に輸送関係と商業政策とが巧く結びついて、ハワイの洋岡も伊豆諸島の観葉植物も飛行機翌送られて来るし、東海地方瀬戸内海地方の暖地いけばなと季節桑原専渓栽培の花も、暑熱の八月の花は長野県の冷地栽培の送り荷と云う様に、一年中美しい花が見られる様になった。最近、十二月から四月頃へかけて大輪苑の美事な花が多くの品種を櫛えて、私達のおけい古の花にまで自由に使える様になったのは、全く結構なことなのだが、ここらで一度ふり返って見て、花と李節に対する考え方をしっかり持つ必要があると思つのである。戦前、こんな状態は思いも寄りなかったのだが、いや、戦前などと云う言葉がすでに古臭いかも知れないが、とに角、花も自由主義と共に瞭爛と咲き出したとも云える。しかし、これは現実の姿てあって私達は自由に春夏秋冬の花を季節を問わす見ることが出来、活けることが出来る。季節又は季節感を、今てもかなり厳重に守りれているものに、茶道と俳句がある。私は茶道にも俳句にも知識が足りないので、残念ながら庶節、季節感についてそれぞれ堅い約分のことは云えないが、何れにも季束が守られているようである。「無季俳句」などと云う派もあって、いわゆる俳句の季題、季語(春夏秋冬の季惑を表現するために、特にその四季の語としてよみこむべく定めた語、鶯を春、金魚を夏とする類)を超越して自由に作句しようとする一派もあるようだが、大部分の俳句は季節をかなり厳重に守られている様である。茶道も同様に、春夏秋冬の自然に副うて季節感をとり入れ、或は守るべし、と云うこととなっている。俳句や茶道か自然を愛し、自然のうつり変りの中に静かな生活をしようとするに反し、花道はそれとは全然、異った生活態度と考え方をもって今曰にあると云うことは、実に対照的てあるし、面白いことでもあると思つのである。いけばなは植物を材料として形を作ることが昔からの約束となっている、近代(昭和初期までは)のいけばなは草木花実を花瓶に入れることであった。現代においてはいけばなから出発して、新しい考案の造形がある。とにかく、私達の大部分の仕事てある植物のいけばな(晋通常識ていけばなと解されるもの)は、私達のまわりに見ることの出来る、あらゆる花盆勿論、樹葉、果根などを含めて)を活けることである。自然に咲く季節の花は云うまでもなく、早生栽培の花も、抑制栽培の花も、目に入り手に入るものは、季節の如何にかかわらず、いつ活けてもよい。五月の百合を十二月に活けても、二月に大輪菊を活けるのも、現実にそこにあるものを活けることがいけばなの本当の姿勢てある。昔から花道は自然の材料を材料としていけばなを作り、その時代の生活を装飾することを仕事として成り立って来た。四季の花がその本当の季節しか咲かない時はその季節の材料ていけばなを作った。今日、温室栽培の花、冷地栽培の季節の違う花を見る場合には、それを現実に見ることの出来る、その時を、その季節として活けるのがよい。一月の大輪菊は一月の花てあって雪の降る二月のフリーヂヤは二月の花と考えて誤りはない。ただ、湿室栽培の花を用いる心、冷地栽培の花を用いると云う認識はしっかり持つことである。さて、以上の様に考えると、梅に大輪菊のねじめの瓶花と云うのも自然だと云えるし、テッポウユリに寒菊を配合して活けるのも、当然と云うこととなる。まことに、いけばなの季節感は現実的だと云える。以上は私達が現在、何となく晋通に行っていることを、具体的にはっきり考えて見たーーと云うこととなるのだが、それなればいけばなに於て、季節を全然考えないのかと云うと決してさうではない。いけばなにはいろいろな系統種類がある。現実にそこにある花を活けようとする近代的ないけばなもあり季節に依って活け方を定めている伝統のいけばなもある。また、季節のうつり変りや情緒を楽しむいけばなもある。この様にいろいろの目的をもついけばなは、そのいけばなの約束や情緒を守ることに依ってこそ、その美術としての価値をもつものであって、この場合は―つの制約の中に於て自然を見ようとする態度をもたねばならぬ。この考え方は茶道や俳句の世界に共通するものがあると思う。① 毎月1回発行緬集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元いけばなNo.16

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