テキスト1963
81/94

峯Q直sる、Jiステソレスのオードブル入れに白菊3本を入れた。これも活け方としては実に簡単である。しかし、ステンレスの光沢と濃い緑の葉、菊の白とがすがすがしい調和美を作っていると思っ゜この写真は写真としてあまりよい出来てはない。白菊とステンレスの感光度が異るために葉の細部がつぶれてしまったが、実際は色彩と光沢との配合と云うこととなり、珍りしい感覚をつくり出している。これはオードブル入れの容器てあるが、金属器の薄手な感じが軽やかな味わいを見せ、これに調和するように花を軽く低<淡泊に挿した。食卓の花としてもよく、洋間の棚の上に飾ってもよくうつると思っ゜この様な器には思い切って花材を短かく切り、殊に大輪咲の花を選んで果ものを盛る様な気持で活けると面白い調子の花が出来る。,横長の花器は以上3作に見る様に、中央に株をすえて左右をすかせるのが最もよい形になる。3 (花器は六00円)3 1.2.3の盛花はいづれも9月下旬花材・白菊一種花器・ステンレスオードブル入の挿花仕事をしながらお話をして失礼します。始めてお会いするお方も沢山ありますねお顔も兒ないで相済みません。今、立花の松の葉を組ん.ているのです。ここは私の家の立関の次の間です。私の座っている後の方に水溜めがあって水の音がきこえます。そのまた後は窓の向うに中庭が見えます。壁に黒い影の見えるのは花瓶に挿した松の木の陰です。仕事をしながらお花の話てもしましよう。丁度.松をなぶっていますから松葉についての苦心談てもお話しましようか。皆さん御承知の通り松の木はどこにてもあるものです。殊に京都など山に近いのて一時間もかければ松の木のある低い山に行くことが出来ます。もっともこれは自由に採集出来ませんが、それにして私が立花に使う松は、京都近辺や磁賀県の材料では駄目なのです。あれ程た<山あるのに、随分ぜいたくにきこえますが、実際は殆ど駄目なのです。先づ第一に京都附近の松は葉色が悪く、その上、枝をとってよく見ますと、葉先の腰がふらふらして、立花の大切な葉組みを作る場合に姿のよい葉組みが作れないのです。この写真で御覧になる様に手桑原専渓に持った松の葉先が、ぐっとかがん.て し..ま.っ. た小さい葉がついています。こんな形の松葉でないとよい格好の葉組みが作れません。葉組みと云っても突然にお解りになれない.てしようが、松葉をはりがねて組み合せて、絵に画いた様な松葉を造形する訳です。こんな精密な仕事をするのですから、松の葉先の腰のしっかりしたものでないとよい格好のものが作れませんし、それが集って大きい立花を構成する場合に大変影響をもって来るの.てす。そんな次第.て京都地方の松はどうも面白くないので殆ど用いないことにしています。その後、芦屋の山から宝塚方面の山を度々あるいて松の葉をしらべましたが、この辺の松は実に美しいのです。葉色は黄みどりの色が艶々として葉に新鮮な光沢が,,、0―弓―u鳥“ol≫`《‘こ索?.9質が強く、新鮮な空気と暖かい陽を受けている関係から、自然に美しい姿をもっている訳てす。京都地方の松のよくないことは当然なのです。白砂青松と云う言葉がありますか、全くよく言ったものです。陶芸家の宇野三吾氏が遠くから見る円い山は土が柔いし、鋭い姿の山は土そのものも堅い、と云う話をされたことがあったが、それもこれも同じ理屈だと思つのです。それ以来、松は海辺の松に限ると思っていますし、私の立花には瀬戸内海の松を使うことにしています。一瓶の立花を作るのに大変なことですが、この頃は児島半島の宇野や倉敷の水島方面へ行って、海に面する尖端に登って足をすべらせながら松のよい材料を採集する訳です、勿論、立花には松がなくとも作れるのですが、とにかく、何かいいものを作ろうと思っと苦心がいるものです。あり、その上、松葉の小さい一葉一葉が引しまり、腰もとがしっかりして立花の材料としては申分のないものでした。よく考えて見ると、海風をうけた松は皆さん今日は1,ヽ/9吃一ワに、一[[●ゞ"ー瓦、、Ii:.'.) @

元のページ  ../index.html#81

このブックを見る