テキスト1963
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はすのいけばなはすは仏様の花だと云うのが一般の通念の様になっている:仏教てははすの花は浄士の花だと云うことになっているが、宗教的な考え方はさておき、池に咲くはすを見ていると、<。 伝統的なはすの活け方は、ひらき全く清やかな感じに打たれるし早朝朝もやに包まれた池0畔にたたずんで緑の葉の群りの中にはす°紅花を見ると、清浄と云う感じが一人感じられるものである。私達がいけ花材料として、はすを使おうとするとき、宗教的な観念を離れて、ま夏に咲く水草として、そ凡1の清爽とした美しさに注意をむけたいものてあ合8月はいけ花材料の少いときでもあるごのま夏の花として、はすのいけ花を別の角度から考案して活けることを、皆様におすすめする。はすは水楊が悪いからと云う考え方もある。何故もたないかを考えて見ると、それは活け方釘工夫が足りないのてはないかと云うことに気附葉を水上にやや高く士げて、自然び姿か様に活け様とする。ごの様な姿に活けると吸水が悪く短詰問てしおれぞ池より切りとった葉はよく水揚て半日、家底の鉢造りのいわゆる茶腕ばすと云われる、引きしまったはす.ても2日はもちにくい。J蕊3ー.これでは蓮もいけ花材料としては、全く特種な花て普通には使いにくいと云うことになる。しがし、ごの頃のいけばなの考え方からすると、もっと手軽に、もっと自由な考え方て新しい感じの蓮かいけ花が活からぬものかと思っQである)そんな考えから、はす6盛花を作って写真にした>夏°永草C.いけばなとして活けたっもり.てある明るい蓮のいけ方はすには花とひらき葉、巻葉と浮き葉、それに蓮の実がある。伝統の生花では以上の五つを一瓶に入れる。過去、現在、末来を示す活け方ヤある"古典は古典としての考え方、技術があり、約束がある。これはまた別の機会に譲ってここては明るい蓮のいけ方と云う、むしろ反対な考えのもとに作った盛花について、お話をしよう)伝統いけばなては蓮か花の宗教的な意義を多くとb士げて、その活け方を定めてい互新しいいけばなでは、その様な約束とはすっかり離れて、はすむもつ形、色彩釘美しさ、更に形と色を感覚的に考えようとする)二つの作品について(ふ10作品)はすの花2本にカラジューム2枚の盛花である。はすの花は2本とも少し曲線Qある面白し形をしているわざと花の高さを揃えて、基本に残暑がつづきます。「涼しさ」をつくる工夫もまだまだほしいこのごろです。実際は暑くとも工夫に依っては涼しさを感ずる場合もあるのてお盆6花てはなくす。こんな「効果」を得るためには自然を写したいけばなはまたとない方法だと云えます。この写真の花は`「うきばな」と云います。うきばな涼しさをつくるうきばなー桑原素子うきばなの考え方③ とも云える活け方てす。水を豊かに盛り上げた花器、みづみづしいお花。昔から夏のいけばなには、いろいろの花材やいけ方がありますが、最も大切なことは、わづかの時間に花のいのちを最高に活かすことです。すぐ活けられて出来上りのすっきりとしたお花。心の中に涼風をおくるいけばな。そんな作意のもとにこの盛花を作いました。この作品.てはハスの花1輪とカラジュームの葉2枚を使って浮花風に活けてあります。洋花の明るいカラジュウムを使うことでモダンな感覚が生れます。お玄関の床の間や空ぎわに、或は縁側において水をふ灼、葉¢うえにたまった水滴がこの場合八涼しさの「効果」なのです。来訪客があった時、手早く打ち水したしずくが涼しさを倍加します。(朝日新間8月91日掲載)うきばなについて考えて見ましよぅ:つきばなとは花器の水面に浮ばせる装飾花の意であbますが、これは盛花と云う言葉に対して、更に花首を短かく切って水に浮く様に見せる活け方であって、水に対する清爽な感じと、浮く花のやさしさ美しさを意匠的にいけ花として作ることであります。水を見ると云う観念から、主として夏季の花にふさわしい活け方なの蓮のはな

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