テキスト1963
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CとJCJ3江戸初期の花道家冨春軒桑原専慶翁によって創起された桑原専慶流はここに300年を迎えることとなった。専慶翁は寛文年問(一六六0年)より貞享、元禄年間(一六九0年)京都に住みその頃、上流貴族階級のに普及し、その花道に対する熱意といけばなであった立花をひろく庶民見識、優れた技法は日本花道に燦然としてその足跡をとどめている。折しも招魂の季節八月、回顧して流祖と流俄の諸先競に敬意を捧げようと思っ。家元富春軒は今日において第十三代になる。文献に依ると累代の家元は専慶、仙渓、専景、専渓等の花号を用いて居る。(名は権左衝門)貞享五年(一六八八年)出版の当流伝書言立花持努粧」を見る今世洛下に富春軒仙渓と云う者あり、幼きよ灼今に至るまで二十有余年花を嗜ん.て最も勉めたりー写真参照ーとあるまた、この氏葵粧出版より約百年後(一七九一年)政三年に出版されーにム同じく当流伝書一立花錦木」を見るとー写氏参照ーその流儀と云うは洛陽富春軒桑原専慶流これなりそもそもこい専慶師は元来池坊臼昼弟にして古今稀有の達人なり‘)ゆえありて一流となりてす.てに百有歳一とあって、ごし寛政年代より一〇0年余をさかいぼるし.貞享、元禄の時代となり.初世家元は富春軒専慶が花号.てあ灼.権左衛門仙渓が実名てあることが解る.てあろう)桑原家は代々、権左衛門と称し家号は官EEi春軒、花号は専慶宕入似専景、の党立花院勢粧(貞享5年)専渓)を称して当代に及ん.ている)(代々、京都西太顆寺花務職)八世家元は権左衝門政重が実名て花号は富春軒専慶てある現存する文書に依る〉岡山県浅口郡長尾町善呂寺に現存い'-桑原専摂翁碑,ーは第七世富春軒c記念塔.てある(一七九三年建立ー第十一世富春軒専慶い伝書その他書題が保存されている中に、安政五年二月、覚了御僧宛い伝書がある。一六八八年公家元に写呉参照)(一八五八年)、これは明治元年よりさかのぼる10年前て当流としては江戸均代最後に見る文献である。明治十二世専渓の貯代である。明治維新よりおよそ20年間は、すべてGJ芸道の暗黒院代と云われたほどの衰微の時代てあったが先代専渓翁は花道⑦復興に力を尽し立花の名手として明治花道の中に幾多い業蹟を残されたのである°ごの間森も....傘需綴・桑原富春軒塔(昭和4年建立)京都市寺町広小路北慮山寺桑原専景翁の碑(寛政5年建立)岡山県浅口郡長尾町善昌寺桑原専慶流の伝統R 創立300年

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