テキスト1963
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いる—ぁの美しさを盛花や瓶花の私など、とてもそこまて考えモソステラなども、濃い緑色中間色はわかりますが、その専渓、舌四檎さんはすでにお花を5年も習っていらっしやるし、竹村さんは4年にもなるそうですから、いけばなには相当キャリアがある訳てすから、今日は日頃の思つままのこと座談会・いけばな(7月21日桑原富春軒にて)材料と色調を遠慮なく話じて下さ、。し先づ、材料のことから入って行きますが、おけい古に使うお花。そのたびごとにいろいろな材料を活ける訳てすが、その中でもどんなお花が好きですか。高橋、私は落ついた花が好きです。それによく日持のするお花と云うことを考えます。カーネージヨンでもその中のよくもつ種類を考えます。私の家は基督教の信者ですし親族には牧師もおります。そんな関係から静かなお花を好むと云ったことになるのでしようか。竹村、私はきれいなお花が好き.てす。柔い草花の様な明るいお花が活けたいと思います。日持のことはあまり考スません。おけい古曰に材料をとり寄せ永田、ますと、どうしても軽やかなきれいな材料の方が先になくなります。ばらの花などは二度三度つづいても嬉しそう.てすから、竹村さんのおっしやる通りです-)しかし高橋さんの考え方も常に必要だと思つのですが。専渓、その通りです。おふたりの考え方は習う人達の好みを代表していると思つのですが、時には落着した花を活け、時には明るい草花を活けると云う様に、適当に交えて行くことが大切だと思います。その人その人の好みがありますし、また家庭の習慣や必要性もありますから、それによく調和するお花を活けて行きたいものです。しかし、どの場合も日持のよいと云うことは大切なごとですね。ことにいけばなを醤うと云うことは、渋い好みの花も明るい美しい花も上手に活かる様に、おけい古することですから、適当におり交えて活けるのがよいと思います。一般的に云って年配の人達と若い人達とは考え方の違う点もありますから、教える先生方も若い人達の気持になって一緒にやって欲しいと思います。高橋、テキストを拝見して、いけばなの色調について、いろいろ考えさせられますが、先El0藤汗大丸の花展の作品などを見て、色が美しいと云う言葉の中にも、いろいろ見方の段階、それに対する知識とか、色調の技術とか、そんな難かしいものがある様に思えるのてすが、永田、ありますね,私達、いけばなの形を作るのと同じ程度に、ある楊合にはそれ以上に色彩の配合について苦心します。専漢、色彩の問題は中々難かしいもので‘―つのお花をとり上げて考えて見て、唯れしも美しい色を出したいと考えるのですが、それが花や葉や幹やその他の自然のもつ色の美しさを感じる心、これが大切なんで、その上に花器を見て感じる心、また心の中にもつ美術的な要素、それらが組み合されてはじめて優れた色彩の美が生れる訳てす。例えば、この頃、りんどうの花をおけい古にも使いますが、その葉色の緑も美しいが、更に葉が自然の褐色に染って色の復雑な楷梯を作って中へも織り込みたいと思つのです。ただ美しい葉色だな、と感じるだけ.てなくそれをどう使って活かすか、と云うところに苦心がある訳てす。竹村、られません。傷んでいる葉の様に思えて切りとってしまいたい気持になります。永田、も美しいけれど、黄ばんだ葉色、褐色に枯れた葉色も面白い色の美しさだと思います。緑の葉のうちに活けて、2日ほどして黄色に変って行くことを計算して、活けて置く場合もありますね。高橋、中問色の更にその中間色と云うことになりますと、どう使ってよいのかも一っ解りにくいのです。専渓、色の楷梯、色から色へ渡って行く配合について、考えねばならないことが沢山ありますね。また調子を変えて、例えば、黒と赤、白と黒.紫と銀色、とかはっきりした色を相対的に対立させて作るー作品もありますね、こんな方法も面白いものですが、私として云いたいことは、色彩の場合も、形の場合も常に野心的でありたいと云うことです。新しい感じを作るために常に研究的な態度をもつ必要があります。飾りつけ竹村、床の間に額の絵をかけるごとがありますねあの培合、花はどんなお花を入れるの.てしよう。専渓、かけ軸の場合と変りありません。ただ、それによく調和すると云うことを考えねばなりませんが。床の間にかける額は日本画が普通ですが、時として洋画の額をかけてもよい均合があります。洋画と云っても範囲が広いですが、淡彩であろうと強い色調OJもOJ.てあろうと、床の間によく調和するものであればいい訳てす。わかり易い例を引きますと、例えば皆さんよく御承知のルオーの絵の様な厚っぽい洋画でも重厚な感覚のものは、当然‘床の間に調和するし、これと反対に東郷青児の絵の様に明る<淡彩の絵も静かな感じて調和よく見られるでしよう。岡鹿之助の作品の様に上品な調子のもの。要するに名作でなくとも落着のある、しかも日本間に調和する作品てあるなれば、日本画、洋画と区別して考える必要はない訳てす。額装、表装などについては充分注意が要ることは当然てすがo,永田、洋装をしても和服を召しても、よく調和すると云う様にですね。専渓、形式よりもその真実のよさを作ると云うーー3⑥

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