テキスト1963
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「さみだれの頃にはお待ち申上候」吉野老人よりの達筆の手紙をもらったのは四月の末、まだ遅ざくらの咲く頃てした。今でも旧暦の通行する岡山県の農村.て「さみだれ」と云うのは六月の梅雨の季節のことなのです。それは三十年も前のことであるのに、まだ私の心に深い印象を残しているのは「さみだれの頃」と云う詩的な言葉の用い方に、強く心をひかれたからでした。倉敷て伯備線にのり替えて高梁川(たかはしがわ)に副って約2時間、岡山県と鳥取県の県境に近い山間の村に田原と云うところがあってそこ初夏の一日(NHK放送原稿)桑原専渓へ訪れたのは6月の下旬、初夏の一日でした。吉野老人は私の父にいけばなを習ったこの地方の人達の中でも、最も先輩格なのてすが、その頃、もうすでに七十オに近い老人て、色のあせた木綿の黒紋附にこれもよれよれの袴をつけて、いつも厚歯の利休下駄をはいて、ひよいひよいと歩きながら丁度、仙人の様な白いひげが長く胸ま.て垂れておったのが印象的でした。その頃また二十幾オの私を前において、「宗匠、どうぞしっかり勉強してつかあさい。伝書の中にも申されてあります。初心者は手先.て花を活け、上手だと云われる人は腕てもって形を作り、名人とも云われる人は、この心で花を活けまする」と、うす暗い電灯の下で、殆どわかりにくい岡山言葉て教えて貰ったのでしたが、京都から6時間の各停の汽車て疲れ切った私は、この老人の長話にうんざりしながら、それても神妙に聴いておったことも、今は遥かな懐い出となりました。「おもと」の田原の村へ来たのは野生地を見るため.てした。庭や農圏にある「おもと」は普通に見なれているの.てすが、山に野生している「おもと」は珍らしいの.て、この地方の私の流儀の師範の人達と一しよに実地見学と云った気持.てここへ来たのてした。その頃、私は花道のために野生の植物の研究を始めた頃てした。これは機会のあるたびに方々へ旅行して、いけばなの材料に用いる木の花、草の花がどんな所にどんな姿て育っているかを実際に採集して、る全く楽しい勉強なのてした。「京都から」と云うと何か美しい印象を与へるのか、その夜、私は淳朴な村の人達から心尽しのもてなしをうけた次第てす。谷川にそった小みちにかやの樹の生垣をめぐらした茶の間の様な静かな部屋てあったと記憶していますが、こごはまだ電灯の配線がないらしく、その頃てももう珍らしい石油の曇座のランプが灯されて十畳ほどの座敷のまん中を小さくくまどって、ばんやりと照らしていました。私達は七八名だったが、吉野老人をはじめその地方の同流の風雅な人達の集り.て、阿れも50オを越えた気難しそうな人達が居ならん.ていました。丁度、夕刻から降り出した雨は時間がたつにつれていよいよ本調子の降りとなって、この山村の夜の雨は全くしっくりとした惰景をかもし出していました。「娘に琴をせかせましよう」と云って、ごの家の主人の心づくしであったのか、いつのまにか邦屋のうちに琴が持ち出されて、十五六の壌様らしい人が一寸かたくなりながら静かに一曲をきかせて呉れました。何んと云う曲だったかその頃の私にはわからなかったが、「これは能の絃上の状景だな」と、私はかって能楽堂で見た絃上(けんじよう)の舞台を想い出して、須磨のわら屋て琵琶を鳴らした老人の物語を今に見る様に感じられたもので記録すした。「おもと」はその家のすぐ上の山にそれこそ見渡す限り視野の限りいっぱいに群落を作って見事に野生していました。っている日当りのよい土地にも、丁度、しやがの葉の様にどこまでも青々とつづいていましたが、人の頭ほどの大きの石塊がごろごろとある中に、「おもと」が群生している状態は古い南画におもとと石がとい合されて、描かれてあったことを思い出して、古画の形式約束と云うものが実際から出発しているごとが理解され成程と感心したものでした。そのとき、山のおもとを幾株か採集して持って帰bましたが、その「おとも」は私の御池の家が疏開されたとき、大徳寺の家にうつし、さらに転々と今い.六角い家の庭に植えました。すでに大きく株を張って青々とした葉がひろがっております。吉野老人もその他の人も亡くなりましたが、その曰の記念の「おもと」と私の懐い出はあわただしい生活の波を、今日にまで持ち越されているのです。(カットは由里本出氏作)越斎木の陰にも石のむらが花を活けるとき、まづ花器に七分目ほど水を入れておき活けはじめます。活け終えてから更に足し水をするのが作法です。四月から10月まではいけばなの吸水が盛んであいますから、時々さし水をせねばなりません。ことに活けた翌朝は一ばい入れた水も思いがけなく減っているのが、普通てすから、特に注意をしてさし水をすることが大切てす。花器の水が切れて花のしおれることが多いからよく注意して下さい。水盤の水は殊に美しく清潔にせねばなりません。水盤は水を盛る花器.てすから、いつも清やかな水の見える様にとり替えるごとです。すでに花の活けてある花器の水をとり替える場合には次の様にしてとり替えます。先つ水抜きのゴム管、(ガス管程度の太さのゴム)を、両端を持って全部水の中につけ水を管の中へ入れます。水の入ったままのゴム管を花器の端に持って行きゴムの一端を花器の中に入れ、反対の端を花器よりも下の方へ下げて水を落します。ゴムの中の水は落ちますがそれにつづいて花器の中の水も吸い出すことが出来るのです。この様にしますと花器の水のすっかりなくなるまでとりさることが出来ます。その後、ふきんで花器の中をふき清め新しい水を注ぎ入れます。8 おもと花器の水

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