テキスト1963
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cUJ3) 戦後、花道の新しい分野として発展飛躍したものに、造形いけばながあります。造形と一口にいいますが大は都市計画やビル建築から、小は小学生の工作物哀て、これすべて造形という言葉が使われ玄す。当初ごの新しいお花には、前衛作品とかオブジエ作品などの名称が冠せられましたけれど、前衛もオブジ工も西洋美術の用語をその儘お借灼して、正しい理解もなして使ったらしく、最近この傾向か―つの「型」として確立してからは、そんな名前で呼ぶのが少なくなbました。「前衛」とは常に新しく、誰もがやったことのない仕事と知ってやる造形作品に就いて桑原完繭冒険心が必要ですし、もその発祥は過去の美術理論を総て否定し、破壊する行動から生れた言葉なので、これもそこま.てしなくとも作れるものなら、しない方が身のため安全てすからよい加減て切り上げる作者が多くなったようです。て教える場合、古典花は立花とか生花、現代花は盛花、投入、前衛花は造形作品という別け方をしますが、ここでいう前衛花とは生きた花以外の異質物、つまり鉄、硝子、セメソトのような従来のお花に使われなかった物を組立て、花型にない新鮮味を作り出そうという作者の意図から生れたものと解してよいようです。の花型を一通り習った人が、すぐさま他の材料を使って造形作品が出来るかということですが、これは仲々むつかしいことです。造形いけばな「オプジエ」花遺を古典、現代、前衛と分類しただここで問題になるのは、普通上野占子`1 は確かに花道の血筋をひいて生れたのですが、育ての祝は他ol美術な切*てこれを研究創作する楊合は、西洋絵画や彫刻作品を勉強トレーニングする必要があり言す。一夜潰けの泥縄式造形は作者の洩薄さだけが国立つもい,.てすから、それならお得意い,お花を生ける方が余程立脈なことと申せ言しよう。ごのような観点から掲戴されてある造形'ふ解説し立すと、薬原素子作品は「ひよっこ」という題名て、主な材料似細い真鋳線です。作者信塀烏から感じる可楚らしさ、羽毛Cl軟かな美しさを表現したかった5ャであり迄しようそ幻冗は確かにひよごの姿てもあり'-上すけれど、線い動きを良く見ると、葉、蘭、か、え、に、し、だかお生花に似ている所もあ幻ます。これがつまり生みの母と育ての親、両方の感化を受けている証拠かも知れません。ごのことは上野淳泉作品.ても言えるのですめそい卜に粉状の物質が附けてありますが、介体Oi形はどうも立花の型のようてす,作占認古皿に現代の息9ゃれ木組合(蒼色一ーマリリ’~— 入信花似りつけ主材はセメントを固心象尾景桑原完吹きを与ネたかったの.てしよう。私の作品は古典的な型の要素はとり入れてありませんが、本来いけばなが持って「わび」「さび」の精神性や、お花の特種なあつかい方に新しい表現を求めている造形作品だと言えます。さてこのように、作者が生半な知識や目新しさだけの興味.て作られる時代は過ぎて、今日只今の造形いけばなは、毎日のトレーニソグが生んだ秀れたものだけが正しく評価される時代になるようです。「造型」と「造形」のちがい。オプジエの正しい解釈。いくら.ても書くことはあいますが、又次の機会に述べることにいたします。爾作6 泉作桑原素子作

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