テキスト1963
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1月28日より2月2日まで毎朝7時30分・ラジオ京都ー、うるおいいけばなのお話をいたします。お花を活けますと、唯れしもが日持ちのいい様に、いつま・ても永もちして、何時まても美しく見られる様にと考えます。これは当然なことですが、よく考えて見ますと、同じ花をいつまてもながめるのは、うるおいのないこと會てもありますし、なんとなくわびしい感じが致します。生花は四五日、永くとも一週問ほどてだめになりますから、また、新しい花を活けると云ったとごろに、そのよさがあるものでありまして、花器の水をとり替え、新しい花をいけ替えた時の新鮮な気持は、がすがしい感じがいたします。切り花は幾日しか持たないー全く短い花の命なの、てすが、花を活ける桑原専渓全くす人は、その花が永く日持ちのいいごとを願うよりも、次々と活け替スる新鮮な味わいを、いつくしみ楽しむ訳であります。こんなに考えますと、或は花の命の短かければこそ、美しく楽しいとも考えられる訳であります。いけ花に「水揚」と云う言葉があります。切り花を少しでも氷くもたそうと云う考え方なのでありますが、これは二旦二日を美しく保せるための水揚であって、いつまでも氷くもたそうとするの.てはありません。花は何時も新しく活け替える習慣を作りたいものであります。2、おもいで私が小学生の頃に、野村先生と云い、これはある神社の宮司をしておられた方ですが、ちょうど古武士の様な、実に立派な先生て、その頃、学校が終ると先生のお宅へ伺って、漢文や古い日本文学の講義を拝聴して、子供ながら熱心に勉強をしておりました。ちよど年末の頃、私が梅の枝を沢山もって行きまして、先生のお床に私が習い始めたいけ花を活けてさし上げたことがあります。その後、春になりその花器の梅の花も満開にひらき、やがては花もしぼんで普通ならばもう捨ててもいい頃てありますのに、いつま.てもそのままに飾ってあります。桜の頃も過ぎ春の木の花もすっかり終って、五月の初夏の頃となりました。毎週、先生のお宅へ参りますたびに、その梅のいけ花を見る訳てすから、子供心にも気になって仕方がありません。花器の中の水を見ますと、これは絶えずとり替えられて、何時も新しい水が入っています。そのうち庭の樹が一せいに新しい緑に包まれる頃となりました。花器の梅の枝を見ますと、これも緑の若葉が点々と芽を出して、新らしい水盤の水に緑の陰をうつしています。私はこごで、はじめて先生のほんとの心を理解することが出来ました。私の活けた花を大切になさる気持と梅の花をいつまでも愛む心と、それが漸く理解出来たのてした。3、うぷみづ四季を通じて、いけ花材料となる花の種類は、随分数の多いものですが、少し.ても日持ちのいい様に、少し.ても新鮮な姿て永持ちする様に、中々苦心が要る訳であります。例えば、桃の花、紅梅などは殊に花の落ち易いものてすから、露のある朝のうちに切りないで、太陽が上ってから、少し花をしおらせから切ります。南天、山の紅葉の木は葉の落ち易いものですから、切りとってすぐ、手近かの自然の水に漬けると「生水」1うぶみづーを興えると云って、大変、永持ちするものです。夕刻に切ると花のためにいいものと、朝に切る方がよい材料との区別もある訳て、例えば、ダリアなどは「宵切り」と云って、夕刻に切るのがくろうとのやり方なのてす。カーネージョンやスイトピーの様な柔い花に水をかけると、すぐ傷みますし、南天、なつはぜの紅葉の類は、水をかけるとすぐ葉が落ちます。これと反対に水揚りの悪い葉を落すために、梅もどきの枝をこも巻きにして、水をかけ、葉をむして落葉させる様なことも致します。花はしっかりしめつける程いたみませんし、ゆるくしばって、こわごわ扱う様なのは、返って傷み易い結果となります。しっかりと縛れ」と云いますが、その道に入ると思いがけない扱い方があるものです。お花を習う人達は、追々深くなるにつれて、材料の扱い方についても、こんな注意をしたいもの.てあります。四月のなかばすぎ、厚ものの‘里桜が咲き終って新緑の季節に入ると、漸く北山の遅ざくらが咲き始めます。花背峠から谷あいの田原の村へかけての細い山道を行きますと、ちうど此の頃、北山桜のわびしい花が見られます。見渡すかぎりの山つつじがつづく中に山こぶしの白い花が咲き、やがて四月の末には、しやくなげのうす紅の花が、山裾から山嶺へかけてぎっしりと押しつまる様に群落を作って咲きます。小出石(こでし)の渓流を伝って谷あい深くわけ入りますと、浅みどりの草の中に、狸々袴のにぶい紅色4、狸々袴「花が可愛いければゃ‘淡い空色のしやがの花に交って、あるいは、きつねのかみそりのオレンヂと山吹の黄色が、ひときわ目をひきます。五月に咲く狸々海の紅の色は、能衣裳のさびたきぬの様に静かな感じを持っております。夏の沢桔梗は白地に描いた友禅の水色とも云えませうし、秋の小紫の実は、ちようど御所どきのきものに見る様な、深い紫を染め出しております。一月、二月の永い冬の間に、まっ白な北山の花々が、どうしてきびしい冬を越すのであろうかと、しみじみ思つのてあります。お花を活けて水ふ宋しもうとするのは、これは当然であります。ところが短かければこそ楽しい、と云う場合があります。夏から秋へ入りますと、朝顔、ふよう。むくげ、すすき、秋海棠露草の様な夏草の花が、庭にやさしく美しく咲きます。朝早く起きて、まだ庭の下草に朝露がきらきらと光る頃に、花鋏を持って、その日その日に咲く新鮮な花を、さくさくと切って、やがて床の間の竹器や籠などに入れます。美しい花の色、新鮮な緑の葉。全く心のすみずみずみまて、すがすがしい感じて一ぱいになります。この様な夏の草花は、毎朝、美しい花を咲かせますが、陽の高くなるおひる頃にはの花色もあせて参りますし、うるおいも落ちてしおれて行きます。5、夏の花僅員)花の命は短くて(7)

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