テキスト1963
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道工2の3(講演記録)その先号においては華道のオブゼエについて、その考え方を説明いたしました。また会場作品としてのオブゼエのお話と、またオブゼ工を家庭の装飾品として用いることについても少し言及いたしました。ゼ工はあくまで会場作品としてのオブゼエであって、一般の人達は鑑賞者の立場として見ればいいと云うことをお話しました。講涸記録をつづけます。展覧会出品のオブ(講演のつづき)以上、華道のオブゼエがどんな考え方で作られつつあるかと云うことについて、お話いたしました。さきに述べた様に、新しい時代の装飾として家庭てもこのオブゼ工を作ったらどうてあろうか、丁度皆様が手芸品を作る様に考えて作ったら、ーーこんな点についてお話をすすめて見ましよう。また短時間に手軽に出来るオブゼ工を、ここて実際に作ってお目にかけることに致しましよう。オブゼ工はいつも新しい考案て作ることが大切であります。またこんな場合もあると思います。例えば何か他の芸術的な作品を見てそれにヒソトを得ると云うこと、(例えば文学、映画)、或は自然の景色や建築の形を見て考案を始めたり、自分が感動を受けたことを何かの形を通し考案、材料てあらわそうとしたり、雲を見て造形を考えたり、動物を見て色彩を考えたり、その様な着想の出発点はいろいろの場合があると思います。然し乍ら、いつの場合も自分独自の考へ方て出発することが大切てあります。従っていつも新しい考案が要る訳でありますが、またそれだけに自分の自由な意思に依って、思うままのものを作ることが出来ると云う訳てもあります。材料も全く自由で、木竹、金属、土、紙、繊維品その他あらゆる材料を使って―つの形を作る、或は組み合せて形を作ります。色彩も自分の思つままに、自然そのままの色であることもよいし、絵の具を使うことも、色紙を貼りつけることも、或は植物の枝、花、葉などをそれにつけ加えて装飾することも自由です。この様に、どんな材料ても、どんな形ても自由に作っていいと云うのですから全く思つままのものを作ることが出来る訳てす。ところがここで大きい難関にぶつかるのです。それは自由に作ると云うことが、実際になると全く難かしいことだと云うことが解る訳です。形式の定っていること、習ってそれを真似ることは、難しそうに見えても―つの線をたどって行けばよいのですが、自由にやれと云われると実に難しいことになる訳です。またきびしく云うと、その人の美術的な教養と云うことも問題になって参ります。オプゼ工は美術ここ.て大事なことが―つあります。そしてこれがオブゼエの最も大切な生命とも考えられることで、作る上に常に考えねばならないことです。それは、オブゼ工は美術であると云うことです。ただ、面白い興味だけの手芸てはありませんさい作品でも美術的な気持が、その中にあらねばならぬと云うごとです。また美術的な工程が必要だと云うことです。―つの芸術を作ると云う考え方て出発し、仕上げねばなりません。もっとも、新しく初めて作る人がそんなにいいものを作れる訳はありませんが、その考えの上に、小品ながら芸術的なものを作るんだと云う気持から出発しませんと、単なる遊びの作品になりますし、出来上ったどんな小ものは俗っぽい工作品としか見えないものになります。作るのは短時間で作っても、その考え方は皆様のこれまての蓄積した美術的な考えを動員して、素晴らしい着想、美しい考案、上品な装飾になる様な、そんなものを作って欲しいのであります。作品を作る(家庭のオブゼエ)ここで材料を持ち出し作り方を教える。2個ふ作るのに助手を手伝せて約一時間かかる。全員は近寄って製作の様子を見学する。材料は、木片、紙、糊、絵の具、その他が机上に並んている。作品の目標古典舞の鬼面を考えにおいてそれを新しい感じに改作する第1の作品([与真N01)No. 2 家庭で作られる筋単なオブゼェC寸花)を写したもの(1) セ‘家庭召乍られる簡単なオブゼェC鬼面)を作り変えたものNo. (2) オ華ブ

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