桑原専慶流家元継承披露の会


桑原専慶流第十五世家元 冨春軒 桑原仙溪 挨拶

senkei sensei

只今、私、桑原和則が桑原専慶流第十五世家元 桑原冨春軒仙溪を襲名致しました。  

私が今日ありますのは、ひとえに本日お越しを賜りましたご来賓の皆様方、流内の皆様方の温かいご指導ご交友ご支援のお陰と感謝いたしております。そして生みの親、家族、親族。桑原家へ参りましてから辛抱強くここまで導いてくれた十四世家元仙溪、母素子、妻櫻子、妹はな、皆のお陰でございます。  

桑原専慶流は江戸初期の寛永寛文年間に京都で創流され、三百数十年の伝統を持って今日に至っています。  

流祖の桑原冨春軒仙溪は、当時、貴族、武家、寺院の床飾りとして発展していた「立花」の達人でした。深い教養と自由な精神の持ち主で、植物の自然にある形、出生のあらゆる状態を深く観察し、自由闊達な花型の創出を試み、一六八八年に「立花時勢粧」を出版して、その中で立花の奥深い魅力を詳しく解説しています。  

その後、各代の家元が立花や生花の普及に力を尽くしてまいりましたが、特に、江戸中期には七世専景が中国四国地方に旅を重ね、各地に門人を育てました。岡山県の善昌寺には七世家元追憶の記念碑が今も大切に残っています。  

江戸時代から明治へと移る激動の時代に、花道を含む様々な芸道は一時期消えかかりますが、十二世専溪がその建て直しに尽力し、花道復興を成し遂げました。  

続く十三世専溪は、わずか十八才で家元を継ぎ、後に立花の名手と言われるようになります。稽古の厳しさや格調高いいけばな、卓越した技術は、その精神と共に今も私たちの記憶にとどまっています。  

そして、父、十四世仙溪は、妻、素子と共に花道の普及に努め、又その活躍の舞台を海外にも広げながら、真摯に花と向き合い、花道展や作品集でいけばなの可能性を世に問い続けて参りました。  

初代仙溪が「立花時勢粧」の中で次のように書き記しています。

瓶上に南山の美をつくし、砂鉢に西湖の風色をうつす。力をも入れずして高き峰、深き渓を小床に縮め、至らずして千里の外の勝景を見ること。その術諸芸の及ぶところにあらず。いでや此の道に名ある人。  

この度の家元襲名に際し、花道の奥深さの前に身も震える思いでございますが、伝統を重んじつつ新しい息吹を吹き込んで参りたいと思います。皆様のお励ましを支えに、より一層、花技の向上に努め、門人の育成と花道の発展に意をつくしてまいりたいと存じますので、これからもご支援ご教導を賜りますよう、宜しくお願いを申し上げます。

 平成十六年五月五日

桑原専慶流家元 十五世  

     桑 原 仙 溪     


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