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桑原専慶流 いけばな テキスト 内容紹介

テキストNO.212
1981年2月号

文 十四世家元 桑原仙溪


コメント・・・いけばなを習う上でとても大切なことが書かれています

P2
P3
P6
P7
冬の稽古
とりあわせをかえることから・・・


 冬は花のもちがよい。一カ月ほどもってくれる花も多い。稽古先でも三週間分ほどの花が元気に水をあげていてくれている。このテキストのP2のバラとP7のバラは同じバラであり、P3のラッパ水仙はP6の方にいけかえている。

 テキストの写真をとったあと二、三日ごとに水切りをする度にとりあわせをかえていけなおしている。

 そんな時テキストに撮った花より良いものがいけられたりする。毎日花ばかりにかまっても居られないだろうが、とりあわせをかえていけなおして見るのも得る所の多いものである。普通にお花の稽古に通っている場合、先生にきめてもらったとりあわせでいけて、それだけで終ってしまうものだが冬の間はとりあわせを変えていける良い時期なのである。与えられたものだけという所から自分の花の好みを見付け出す第一歩が今だといえる。

 又残った花だけのとりあわせをかえていけるだけでなく、例えば松の枝が未だ使えそうな時、稽古に出て来たもの以外の自分の好きな花を買っていけあわせることである。

 大ていの場合形をならうことだけに終って肝心のとりあわせについては先生まかせの段階から、自分のいけばなをいけられるようになれる、有難い寒さと思いたい。

 このぺージではそんな意味をもっとひろげて、花を習うということについて考えてみたい。

 

 皆さんもそれぞれに好きな花がおありのことと思うが、その自分の好きな花が、自分の好きな感じにいけられたらと思って、いけばなを習い始められたのなら全く申し分のないことである。自分の好きな花を自由にいけられるようになる為にこそ色々と基本的な型を利用して花の扱い方を覚えるのであって、私達の流儀の型を覚えるだけが目的ではない筈である。いけばなを習っている間に花器にも興味をもつ筈だし、そうなれば陶器や色々な工芸品も考えるようになり好きな花器も出来るだろう。そうなった頃から自分のいけばなが出来てくるのである。基本的なことも一応マスターし、一年間の花材の季節を知り、とりあわせにも目的が定まったなら、部屋を片付けてその花を飾り、家族で心楽しく語りあうことだろうと思う。そんな目的でこそ花を習ってほしいのである。

 そういう風に習ってこそ楽しみでもあろうし又自分が生きて行く上での心の糧にもなるのである。

 好きな花があったとしてもいけばなを習ったのと習わなかったのとでは花の見方も大きな違いがある。花を習わないなら習わないで良い。自然に咲いたままの花を咲いている所で心ゆくまで眺めるのも大きな楽しみである。だがその花を一枝でも折りとったなら、それを存分にいかしてやりたいと思わない人はない。存分にいかしてやるにはどうしてやったら良いのかと考える所からがいけばななのである。枝を折りとり、花の茎を切りとって、ただそのまま花瓶にいれてやっただけでは、元の花の良さはもうない。余程よく自然の花を観察してないと折りとった枝は元の自然を再現し得ないものである。桜は桜自身で何かその桜がどんな風に咲きたいのか、意志に似たようなものもあるように見える。そこを何とか知ろうと思って一生懸命になってるのがお花の先生であり家元である。一つの花について、その花のシーズン中毎日毎日稽古で見ていれば、この花はこんな風にいけてやっては可哀そうだな、位の事は自然にわかってくるものである。稽古の時に教える内容には、そのようなことも含まれている。

 冬の花はもちがよいということから色々と、いけばなを習うことの意味や目的を綴ってみたが、習う方の努カも大変だが、私達の方も皆さんの進歩に見合うだけの勉強をしなければならないのも勿論である。一年前までこれで良いと思っていたことでも、自分の進歩で見直さなければならないことも出来てくる。昔からの経験も大事にしなければならないが、花の栽培技術の変化や輸入花卉の増加した昨今、考え直さなければならないことも山程ある。

 その上に日本の自然以外にも遠かった外国の自然も身近になってしまっている。与えられるものの変化が多い現在、自分らしいいけばなをいけるという目的ではじめたいけばなの稽古も、よく考えてかからないと、ただの花飾りに終ってしまうことになりかねない。好きな花を好きな型にと説明して来たが、本当の所は、自分自身の人格を適確に花で表現出来るようになることが、いけばなの稽古の目的なのである。

 だから私達は皆さんがそれを見つけ出すための手伝いをしているに過ぎない。だがこんな窮届な事はあまり考えず、充分稽古し花をいけるのが楽しみになっていただきたい。続けてやっていれば必ず面白くなり、好きにもなって行くものである。そして何年か稽古する間に必ず我が家の味とでも言える独特の花がいけられるようになってくれば、私達も一緒にその楽しみを味わわせていただきたいと思っている。
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